自転車事始 1999年5月20日

自転車には小学生頃から乗っていたが、サイクリングと呼べるような本格的な自転車歴は1999年に、息子から譲り受けたマウンテンバイクで始めての阿蘇・大観望へ行ったことから始まる。

1999年5月20日、退職後何もすることがなく、アテもなくぶらりと出かけ、正午ごろ着いた所が大津町にある岩戸神社の滝。滝を見上げながら弁当を広げ、こんな所まで来れた記念にと、3〜5kgの記念になりそうな岩石をリックに入れ帰路についた。

しかし、せっかくここまで来れたのだから、晴天だしもうちょっと足を延ばそうと、右に折れ、R57号線を立野方面へ漕ぎ出した。「そうだ!長陽村の黒川に架かっている「阿蘇大橋(赤橋)」までいけたらいいな」くらいの気持ちで漕ぎ出したのだ。「やるじゃん!とうとう赤橋まで来たぞ!」と自己満足をしながら吹き出る額の汗を、タオルも持っていないので手で拭きながら、せっかくこの坂を漕いできたのだからこのまま下って帰るのは勿体無いと、今度は阿蘇・内牧温泉を目指した。

 この時は自転車で時速何キロで1時間で何キロ走れる。と言う概念が全く無く、兎に角乗って走り、漕ぐだけの知識しか持ち合わせていない。行ける所まで行け!と言う感じなのだ。地図を頼って行動するなんて事は考えてもいなかった。



 「自転車でこんな所まで来られるなんて信じられない!」と残り少なくなったペットボトルの水で喉を少し潤し、ここまで来られるんだったら「大観望」まではいけるのでは?」と国道212号線の曲がりくねった道を登り始めていた。立ち漕ぎや立ちこけそうになりながら、肩に食い込む岩石の重さや吹き出る汗、目に沁みこむ汗に苦しみながらの登坂である。

 「とうとうヤッタゼ!大観望\(^o^)/」「なんと素晴らしい景色だろう!」「なんと爽やかな風だろう!」といっぺんに今までの苦しい登坂だったことは忘れてしまい、感動に浸っていた。

 「大観望」を後にし、ミルクロードを走る。もう身体も随分疲れているようだ。クタクタ(>_<);残り少なくなっているペットボトルの水を舐めるように、乾いた唇を潤しながら、自動車では快適に走れるミルクロードだが、以外にアップダウンが多く、苦しいサイクリングが続く。そして、自動車ではアッと間に通り過ぎるミルクロードがこんなに距離があるなんて、「随分時間が掛かるんだな〜!」と自転車に乗って初めて実感した。

 「兜岩展望所」方面に折れ、今度は恐怖のダウンヒル!ヒューヒューと車輪が風切る音、揺れる車体、「こんなにスピードが出て大丈夫?」「自転車分解しない?」肩に力が入る。全てが始めての経験だ。本田技研工業付近まで来て、ホッと安堵した。

 ここから我が家までもクタクタな身体には堪(こた)えたが、午後7時過ぎ、ヨタヨタとした足取りだったが、何とかたどり着いた。

 我が家では、家内と娘が「お父さんはどこへ行ってしまったのだろう?」「失業中で、とうとう家出をしたのでは?」「警察に捜索願を!」と真剣に考えていたようで、「只今!ハイ!土産!」と、拾ってきたズシリと重い岩石をリックから出して渡すと、本当に目に涙を浮かべ安心した様子でした。「こんな重たい岩まで持ち帰って!どこかに捨ててくれば楽だったのに」とねぎらいの言葉まで頂きました。

 この岩石もどこへ行ったのか、庭の畑の縁石にでもなっているのだろか。

 これからは出かけるときは置手紙をして出かけることにしました。しかし、現在では「ケータイ」があるので電源さえ「ON」しておけば大丈夫ですね。


アテもなくぶらりと出かけた旅だったが、このことがきっかけとなり、サイクリングの魅力に惹かれるようにになった。



1999年5月の初めてのサイクリング騒動後、この自転車(MTB)と相方はママチャリで「山鹿サイクリングロード」や「空港」「熊本港」など近場をサイクリングして、特訓に特訓を重ねてその時が熟すのを待った。

 折角サイクリングするならママチャリではない自転車をと、自転車知識はゼロの状態で2001年5月近くの自転車店から新しくブリジストンの「Comfort Bike SC700」を購入、ついでに小生のMTBでは見劣りがすると、「SLUGGER ロードSR700」を手に入れることが出来た。

初めてのロード 「島原半島一周へチャレンジ♪」

  2001年5月11日待ちに待った新しい自転車の納車だ。その操作方法も殆ど分からない手探りの状態でヨタヨタとおっかなびっくりで乗り方の練習である。一通りチェンジレバー等の操作方法を習得し、明日からの「新しい自転車で新天地への旅立ち」を待った。
 相方と二人、まだ夜が明け切れない2001年5月12日午前4時45分、我が家を出発!「島原半島一周」に初チャレンジだ! 二人とも昨日乗り方を習得したとは言え始めて乗る新しい自転車。慎重に!慎重に!
 熊本港に着きフェリーに乗り込む。自動車と一緒のところに縛られている自転車が心配だ。が、何か初々しさが二人を包んでいる。心はワクワクである(~o~)

島原に上陸し、いよいよ半島めぐりである。
火砕流で悲劇の町となった深江町を通り、ただひたすら漕ぐだけである。相方はギアの入れ方がまだ十分分からず、後ろから大声で「前のギアを落として!」「後ろのギアを上げたら!」と指導しながらかいさんも必死に操作を習得しながらのサイクリングである。
途中、休憩をし、綺麗な海を眺めながら地元のおばあさん暫し話し込む。
サイクリングの旅での楽しみは、
小休止して行く先々での人との交流が出来ることである。
小浜を過ぎ、激坂を休み休みで上り、千々石に到着。ここで信号機のある交差点に差し掛かり、真っ直ぐ行くのか右に曲がるのか迷った。丁度近くに交番があり、「島原半島一周をしているのですが」と道を尋ねると、本来なら「島原半島一周」だから、半島の一番くびれた所(愛野町)を行く予定でしたが「右に折れていくと国見の方へ行くと近道」の言葉で右へ行くことにした。が、ここが広域農道で、往来する車も殆どなく信号機もないが、初めての二人には難所中の難所(>_<)

 厳しいアップダウンが延々と続く!相方の車重もロードに比べたら相当重く、上りになると極端に遅くなり、かいさんはかいさんでまだ走り方が分からず、どんどん前に漕ぎあがって行くだけで、相方とは離れる一方である。上りきったところで相方がくるのを待ち、漸くかいさんのところに追いつくと、かいさんは休憩も十分取っているので、直ぐスタートしてしまう。下りは下りで相方はスピードが出るのが苦手(>_<)ブレーキをかけっぱなし!おまけにロードとの違いで距離は又離れる。この繰り返しで相方はグロッキー気味で泣きべそ(-_-;)

 後に引き返すことも出来ず、二人とも尻や股間の痛さに悩まされながら、ただただフェリーに乗り遅れないように、相方は必死に漕いで付いてくる。

 こうして、やっとの思いで多比良港に辿り着き、どうにかフェリーには間に合った。
長洲港に着いて、辺りは真っ暗なのでライトを付け家路にと向かう。フェエリーの中でサイクリング姿の男性に会ったがその人はヘルメットやバックライトもで用意さて万全の態勢で漕いでいかれたが、我々の装備は何もなくGパン姿の普段着そのまま、貧弱そのものである。何しろ始めての遠出のサイクリングを始めたばかりなのだから。
このときはパンク修理も空気入れも持ち合わせがなかった。

田原坂付近では、とうとう相方はしゃがみこみ、動けなくなった。回りは真っ暗!20分ほど休憩し、植木付近ではかいさんが縁石に当たり転倒するやら、散々な目に遭いながらも午後9時15分やっとの思いで我が家にたどり着いた。

 今思うと、無事に帰りついたのが奇跡的な出来事のように思えた。
 相方にはこの経験が、「もう、これ以上の苦しみはない!」と思えたのか、その後、ロードにも乗れるようになり、島原半島へ再チャレンジしたり、長崎往復や、人吉往復日帰りの旅など長距離ツーリングの旅が出来る様になった\(^o^)