田上さん、谷さん、万田鉱跡を行く!

9月16日から30日

14泊15日

北海道自転車旅  平成21916日~30

前言

今年(平成21年)5月に薩摩半島をテント泊主体の10日間自転車旅を終えた段階で秋には東北地方を旅しようと計画を進めていたところ自衛官として初の部隊勤務のスタートを切った北海道・上富良野町に駐屯する第2戦車大隊3中隊に勤務した隊員で組織しているOB会から919日懇親会を開催する旨の連絡が6月上旬に届いた。懐かしさの余り直ぐに参加の返信を出すとともに東北旅行は次回へ延期し、この機会を利用して北海道を自転車で走ることに決め、この一年間自転車旅に同行してくれた谷さんにこの旨を伝えた。これまで自転車旅に反対したことがなかった妻や子供達は私の健康を気遣い北海道を自転車で走ることに異議を唱え始めたのだったが・・・やっと実行へと進むことが出来た。

 

テント等荷物の事前発送

テント泊の旅であれば自炊はしなくとも荷物はやはり多くなり自転車の前輪・後輪の左右に付けるバック自体を含め荷物の重量は15kgを越えてしまうし自転車自体も12kg程度はあるため、荷物を宅急便で旅館へ事前に送ることにして、千歳空港到着の916日と出発前日となる29日の宿泊を千歳市内の旅館に予約を入れ9月9日宅急便を発送した。宅急便はJAL手ぶらでおでかけサービスを利用して往復3200円の料金で、福岡・千歳間の航空券をJALマイレージポイントで入手した。

 

第一日目9月16日(水)晴れ一時小雨:熊本から千歳へ

出発前にと庭掃除等に少々精を出したため前日から持病の腰痛が再び酷くなっていたが湿布と鎮痛剤の効果で痛みもいくらか和らぎ出発に支障はないようで一安心、妻の気遣いで湿布と鎮痛剤を旅の携行品に急遽追加した。

息子の車に輪行袋に入れた自転車を積載し、我が家を515分に出発、高速バス停武蔵丘へ向かう。同行する谷さんも既に到着、定刻の535分福岡空港行きのバスに乗り込む。心配していた荷物室もガラガラで難なく自転車を積載出来た。福岡空港へほぼ定刻に到着しJALのカウンターへ向かう。荷物の検査は厳重に実施されており逆にそこまで実施するのかと感心してしまった。例えば輪行袋を開け次いで工具類を入れていた小さなバックも開けて徹底した目視検査、ゲートを通過すると赤ランプ点灯、私からこの自転車用のサンダルが原因ですと申し出ると、スリッパに履き替えて再度通過してOK、サンダルは別途検査された。

航空機は定刻より10分程遅れて離陸、しかし全国的な晴れの天気で下界への視界は良好、窓際の席を予約していたのでこれまでに自転車で旅した地域を見下ろしながら旅を回顧・・・昨年秋の中国地方を斜めに横断して島根県石見銀山へ、数年前の山陰海岸、今回走る予定だった青森県津軽半島・・・あまりにも真剣に下界を見続ける私にスチュワーデスさんが親切に色々説明をしてくれた。肝心の北海道にさしかかると雲が多く視界不良、定刻よりやや遅れて着陸、自転車を受け取り早速組み立てて、1225分市街地方向へと自転車走行開始だ。雨が落ちてきたのでJRのガード下で雨宿り、小止みとなり走りを再開、13時頃旅館に到着、自転車を旅館に駐めて隣の居酒屋(昼食時間帯には食堂として開店)へ入った。カレーがメインの様子なので、チキンカレー750円を注文、なんと鶏のもも肉が骨付きのままデンと鎮座しておりビックリ・・・味は良し・肉は軟らかく煮込まれており骨から肉が簡単に離れ食べやすく大満足の昼食となった。食後にチェックインを済ませ近くの大型ショッピングセンターへ歩いて出かけた。肝心のガスカートリッジはなく、店員からアウトドア用品店を教えて貰い片道2.5kmほど歩いてやっと入手した。ガスカートリッジは危険品で航空機内への携行は勿論のこと宅急便で送ることも禁止されているのだ。ついでに空気枕も購入し、大型ショッピングセンターで焼酎を購入し15時頃部屋に戻った。前日に届いていた宅急便を女将さんから受け取りバックへの入れ組品を確認し明日の出発準備を完了した。入浴を済ませ18時から食堂で夕食・・・女将さんとの会話が弾み1930分頃やっと部屋に戻り20時には早くも就寝となった。 

第二日目9月17日(木)晴れ:千歳から滝川へ

510分起床、外はもう明るい、週間天気予報を見ると曇りの日が出現するが雨は心配ないようで幸先がよいと気分は上々。630分から朝食、7時10分宿の前で記念写真を撮ってさあ出発だ。国道337号線・274号線・12号線を走り奈井江にある道の駅を目指す。千歳市街地を過ぎると車は少なく道は広く路側帯も広々、朝のすがすがしい空気を浴びながら快適な自転車走行、そろそろ休憩をと思うがガードレールとか民家の塀など自転車を立てかけるものが見当たらず北海道では休憩地点探しに苦労するなと思った。約15km走行した8時5分頃農産物販売の小さな広場が出現し休憩とした。そこの販売店の主・農業を営む夫妻としばし会話を楽しんだ。農地の広さを自慢されたが悲しいかなその数字を聞かされても広さの実感が湧いてこない。10分後出発、一時間ほど走行しては路肩で5分ほどの休憩を二度繰り返し、(途中で雄大な広々とした風景に感動し記念写真)、岩見沢市街地が近づくとこの274号線は片側3車線、歩道は2車線分ほどの広さなのに車は少なく歩道を歩く人も見かけない・・・何という無駄な道路をと憤りを感じつつ走行した。

千歳から57km走行した1115分岩見沢市街地中心部で広々とした公園が出現し休憩とした。SLの機関車が2台展示されており写真をパチリ、ボトルに水を補充して10分後出発、国道12号線を7km走行して1155分道の駅三笠に到着し昼食休憩とした。北海道で最初に目にした道の駅は活気があり大賑わい、コンクリート製の建物も頼もしさを感じた。食堂では地元で取れた米のおいしさを謳っておりこのご飯を食べることにしたところ「炊きあがるまで20分ほど待って欲しい」と若い女性のスタッフの声、この間に茹でトウキビ一本100円を食べる。味覚が鋭くはない私には熊本で食べるものとさほど変わりはないと思うがやはり美味しいと云うことに誤りはない。20分後スタッフお薦めの豚味噌漬け焼き丼500円を注文した。やはり美味しい・・・40年ほど前は道産米はまずいという評価が定着していたのにこの美味しさ・・・品質改良の成果なのだ。一時間後に出発、約7km走行した1320分日本一長い直線道路29kmの標識が出現・・・多くの自転車旅人が記念写真を撮ってる場所・・・我々も同様に記念写真を撮った。約16km走行した1425分道の駅「奈井江」に到着した。本日の宿泊予定地点・・・宿泊は可能だが道の駅全体に活気がない・・・谷さんと相談の結果もう一つ先の道の駅「滝川」まで走っていくことにして再び直線道路に戻ったがこうも同じような景色が続くと当初の感動は消え去ってしまった。滝川市街地のスーパーで夕食と明朝の弁当等を購入したのち1640分道の駅に到着した。

道の駅の閉店は20時だ、宿泊適地を早速探し回るが一長一短あり決めがたい・・・そのうち谷さんが道の駅の責任者からテント展帳を黙認する場所は道の駅建物裏手の芝地との情報を入手してきたので明るい内にテントの準備を終えることが出来た。このような情報入手は谷さんの得意分野で有難いことだ。テント展帳していると、男性が話しかけてきた・・・道の駅裏手にある農業研修所?に勤めておられるとのこと、しばし会話を楽しんだ後帰宅して行かれた。我々が夕食を摂ってると先ほどの男性(S氏)が現れ枝豆を差し入れてくれた。私が焼酎を勧めるが断られつつしばらく雑談、S氏も元自衛官で定年退官後委託管理者として研修所に勤務しておりこの芝地をテント泊の旅人がよく利用、旅人の会話を楽しんでるとのことだった。

S氏が戻られた後明日の宿「ふらのYH」へ確認の電話を入れ1950分には早々と就寝、今回の旅最初のテント泊だ。一眠りした頃なんだか外で物音がする・・・「谷さん・・・眠れないの?」と私がテントの中から声をかけると「Sです」との返答、慌ててテントを開ける。「今夜は冷え込むそうだからこれを湯たんぽ代わりにして下さい」とS氏が新聞紙で包んだ缶詰ご飯・お湯が入ったペットボトルを二人分差し入れてくれた。谷さんも直ぐにテントから出てきて21時頃から3人で焼酎を飲みながらの会話で盛り上がった。S氏も数日後に休暇を貰ってホンダのカブ(50cc)で利尻・礼文島へ野宿の旅へ、テントは携行せずバス停・駅舎・道の駅等を利用し寝袋だけで休むそうだ。22時頃帰宅するS氏を見送った後、道の駅の洗面所・トイレを利用すべく表入り口へ行くと自転車とテントが!そこから少し離れた場所で道の駅の明かりを利用してメール操作中の女性が一人。直ぐに3人で会話が始まる・・・彼女が沖縄から宗谷岬まで日本縦断中であること、ヤフーのブログ自転車旅の中でアクセスランク一位の「漕ぎ主」さんということが判った。私はこの人の日記を偶然訪れ23歳の男性と思い込んで途中からではあるが915日の日記まで読んでいたのだった。彼女は防犯の観点から男性とも女性とも表明しておらず、日記文章中でも僕・私・俺等の一人称は使用してない、投稿している写真も風景とか出会った方の写真でご本人が登場してる写真はなかった・・・この期に及んで納得した次第・・・これまではなんと女々しい男かと思っていた次第だった。

我々のテント展帳場所は屋根がなく夜露で濡れることが明らかだったので谷さんの提案で「漕ぎ主」さんのテント横(正面入り口の屋根の下)へ急遽移動することになった。話はどんどん盛り上がっていくがきりがないので23時を過ぎたところで我々高齢者は再度眠りにつくことに、漕ぎ主さんは今日の日記をブログへ投稿する作業続行へと移り、旅の楽しさ「人との出会い」が見えない糸で繫がっていった楽しい一日も幕となった。

本日の走行距離:111km・走行時間:7時間25

 

第三日目9月18日(金)晴れ:滝川から中富良野へ

4時50分起床、霧が降りており寒さもそれほどではない・・・テント撤収していると彼女もテントから顔を出して朝の挨拶を交わすも若い彼女は再びテントを閉める。我々は道の駅の裏手へ移動し出発準備を整えつつ朝食を準備し7時頃から3人で朝食、我々の今日の予定は滝川から東へ進路変更し国道38号線を空知川沿いに走り富良野経由中富良野へ向かう、別経路として旭川経由が考えられるが距離が長くなるので富良野経由が無難だと谷さんに説明し納得して貰っていたのに、彼女が旭川方面へ北上することを知った谷さんは旭川まで一緒に走ろうと彼女を突然誘う。彼女は昨夜の会話の中で札幌から滝川まで国道12号線を避け車が少ない側道を走って来たと話していたので国道12号線で旭川へ走ることを強要してはいけないと谷さんに意見をした。彼女は悩んだ末我々と一緒にJR旭川駅まで走ることを選んでくれた。若い女性と一緒に走れることは私も当然嬉しい。

S氏は約束通り8時30分には我々のテント展帳跡地に現れ寒さの程度等について会話を交わすとともに、私は彼女が日本縦断中で利尻・礼文島を自転車で訪れる旨紹介した。

S氏と別れ8時35分旭川を目指し私・漕ぎ主さん・谷さんの順序で国道12号線へと出て北上開始、約16km走行した9時35分頃道の駅「深川」で休憩、石狩川に沿って神居古潭から旭川方面へサイクリングロードがあることを承知していた私は道の駅の従業員からサイクリングロードに入る経路を教えて貰った。15分間の休憩後走りを再開し、12km走行した1040分頃石狩川に架かる橋梁を通過後左折して国道を離れたとたんに景色が素晴らしいと彼女が声をあげ写真を撮り始める・・・吊り橋を渡ると急坂が出現、自転車を押し上げると神居古潭公園に到達、ここにもSL機関車が3台も展示してあった。喜ぶ彼女を見ながら約20分休憩した後サイクリングロードを北上、綺麗に整備された路面には落ち葉が・・・秋の風情を感じつつ5km走行したところで休憩を10分程入れ、更に17km走行した頃には石狩川右岸堤防上に出て旭川市街地を遠くに望めるようになった。堤防左手にコンクリートの大きな建物が出現、彼女が「あれは多分道の駅だと思う・・・スタンプが欲しい」というので寄り道することに、谷さんから旭川駅ではなくそこで昼食にしようというので、堤防上のサイクリングロードから外れ左折して走ると道の駅ではなく公共の建物のようだ。

とりあえずトイレ休憩ということにして私が自転車の見張り役、トイレから帰ってきた谷さんがここの広場で収穫祭が行われており昼食にしようと、3人揃って収穫祭の広場へ行き1220分ころから昼食休憩となった。

蒸かしジャガイモ、イカ焼きを購入、おにぎりがあったけど予約者だけということで残念ながら手にすることは出来なかった。食後この後の行動を話し合ってJR旭川駅まで走ることなくここでお別れ、我々は「ふらのYH」を目指して南下、彼女は予約している廃校を利用した宿泊施設を目指し北上することになった。滝川からここ近文までの約50kmの走行間に感性豊かな若い女性の発する言葉にこちらも楽しませて貰った。

13時5分谷さんと二人での走行を再開、40年前には車でよく走った国道237号線を浦島太郎の気持ちで南下、上富良野演習場からそれぞれの駐屯地へ帰って行く沢山の自衛隊車両とすれ違う・・・懐かしい・・・演習最盛期なのだ。美瑛町に近づくとこれまでの平坦路からアップダウンが連続するようになった。疲れと寒さを感じ道端で休憩しウインドブレーカーを着用していると若い男女二人ずれの自転車が追いついて来て一時停止、旭川空港に先ほど到着し麓郷のYHへ向かうとのこと80km走行してきた我々とは元気さが異なる、自転車も高価なもの、ウエアも垢抜けしている、別れた後で谷さん曰く「彼らは金持ち・お医者さんかな?」。上を見てもきりがない、下を見てもきりがない・他人と比較することなく今の自分の境遇に満足し幸せと思うことが一番だ。昼食後約55km走行した175分夕闇が迫る頃中富良野町にある「ふらのYH」に到着した。部屋へ入ると先客の青年が一人、話しかけると外国の人で日本語判りませんとの返事、入浴を済ませ洗濯機を回しつつ1830分から夕食・・・ここのYHは宿泊料のみで夕・朝食は宿泊予約時に申し込むと無料、提供された夕食は他所のYHと比べても遜色はなくむしろここの方が美味しい、谷さんと缶ビールで無事の走行を祝して乾杯、20時過ぎには早くも就寝となった。

本日の走行距離:107km・走行時間:6時間35

 

第四日目9月19日(土)曇り:中富良野から上富良野町散策

5時に目を覚ますが今朝はのんびりしており6時に起きあがる。朝食は7時からで大勢の宿泊客で賑わってる。食後自転車を置いていたテラスへ出るとハンモックで遊んでる外人のペア・・・片言の英単語で少しだけ会話を楽しんでいるともう一組も部屋から出てきた、かなりの英語を操る谷さんも加わり会話も盛り上がった。彼らはタイ人でレンタカーで観光しており今日は旭川へ向かうことがわかった。今日から明日昼頃までは谷さんとは別行動、彼は富良野地域を観光するため身軽な自転車で8時10分過ぎに出発、私は食堂へ戻り新聞を読んでいると青年が食堂へ入ってきた。彼は青春18切符と同じような利点を持つJR東日本とJR北海道管内で利用できる割安な切符で北海道を旅行中とのこと、携行している荷物が少なく鉄道の旅慣れしてるのだろう。彼を見送った後私が最後の出発者となり8時50YHを出発、上富良野へと向かった。40年前の記憶を甦らせながら駐屯地近傍・官舎周辺・借家周辺を走り、1010分頃一旦温泉旅館へ荷物を預け身軽な自転車に跨り再び懐かしいけど浦島太郎の気持ちにさせられ町内をくまなく散策し1430分過ぎ旅館へチェックインした。宿ではOB会の役員がこんな早い時間なのに活動しており懐かしい人々との再会・入浴・懇親会へと続いていった。翌日以降のことを考え酒量はちゃんとセーブして22時過ぎには就寝としたが寝つきは悪かった。

本日の走行距離:36km・走行時間:4時間10

 

第五日目9月20日(日)晴れ:上富良野から南富良野

6時前には起床して同室の人と雑談開始、7時から朝食、部隊訪問の為のバスは8時20分旅館を出発するとのこと、私は自転車故8時10分に出発、駐屯地正門前でバスと合流して入門する。演習場訪問とお昼の会食は辞退して90式戦車の体験搭乗を楽しませて貰い現職中隊長に一足先に離隊することを伝え9時10分駐屯地を出門した。谷さんに携帯で直ぐ連絡を入れJR富良野駅前で合流することになった。40分後の9時50分頃15km走行してJR富良野駅前に到着、谷さんと合流し二人での旅再会となった。

駅横の広場で富良野ワイン祭りが開催されており大賑わい・・・谷さんと会場を歩いていると中年の夫妻から声をかけられた、なんと私が昨日上富良野町日の出公園展望所でシャッターを依頼した夫妻で観光旅行中とのこと、自転車旅の姿故嬉しいことに相手は覚えていてくれたのだった。ワインの試飲がグラスで100円・・・自転車故私はぐっと我慢したのだが生活の知恵に長けた谷さんはペットボトルに200円分のワインを詰めて貰い今夜の楽しみに、自転車を駐めていた駅前に行くと自転車旅の青年が一人、たどたどしい日本語を話す韓国の青年で背中に大きなリックを背負いジャイアントのロードレースの自転車には荷物はなく(このスタイルから自転車旅に不慣れと思った)これから日高?へ向かうと、更に私を上富良野で見かけたと云っていたのに旭川方向への道路へと消えていった。

30分後の1020分我々は国道38号線で南下開始、今日の目的地は道の駅「南ふらの」、約4km走行した1035分頃大きなお店の駐車場でこれ又イベント開催中が目にとまり寄り道することにしてちょっとだけ引き返した。イベント会場ではスポーツカー(クラシックから最新のものまで)が展示してあり、遅れて?到着したスポーツカー数台も展示場所に追加されつつあったが10分後会場を後にして走行再開した。しばらくすると先ほどの韓国の青年が素晴らしいスピードで我々に手を振りながら追い越していった。背中のとてつもない大きなリックが気になったが走り具合を見る限り心配無用だと思えた。

我々は追い風を受けつつのんびりと景色を楽しみながら走り続け1125分頃山部町中心部でやっと出現した食堂に迷うことなく入った。走っても走ってもなかなか出現しない食堂、コンビニも見当たらないから、小さな集落でもこのような食堂では料金的に高いものになり950円の日替わり定食のおかずはサンマの塩焼きだった。

50分後に食堂を出て走りを再開、しばらくすると国道237号線との分岐点にさしかかり韓国の青年はここから日高方向へと南下したと推測、我々はここから90度方向が変わり東進となる国道38号線を走り西達布集落で1255分頃約10km走行して10分ほど休憩、気温も冷たく感じその上向かい風となってきた。西達布を過ぎるとこれまでの平坦路から上り坂にさしかかったことが体感出来るようになり標高480mの樹海峠を時速6km以下の超スローペースで登りきり、次は標高差200mの下り坂をあっという間に駆け下り道の駅「南ふらの」に1435分到着した。

早速宿泊することを前提に道の駅施設を見て回りテント展帳場所の目安をつけ、次いで近くのコンビニで夕・朝食の弁当を購入した。谷さんと無事の走行を祝って缶ビールとワインで祝杯を挙げた後道の駅施設内でのんびりと休憩・・・この休憩施設が24時間開放されるなら有難いのだがと人の欲望にはきりがない。道の駅は18時閉店となってるがそれを待ってると暗くなってしまうので、強風のもと建物の裏側に17時過ぎにはテント展帳完了と同時に寒いのでテントに入り込み早々と焼酎のお湯割り・夕食を終え19時には寝袋に入り就寝!

本日の走行距離:60km・走行時間:3時間50

 

第六日目9月21日(月)晴れ:南富良野から帯広

4時55分起床、昨夜は冷え込み夜中に2度も重ね着をする有様だった。テントの外は冷たく防寒着としてゴアテックの雨具を早速着用、テントは建物の庇の下に広げていたので幸い夜露はわずかで済んだが、霜が降りたようで太陽の上昇と共に屋根から滴がぽたぽたと落ちてきたがその頃にはテント撤収を終えていた。寒い朝でも暖かいお茶・インスタントの味噌汁があるとコンビニ弁当でも結構美味しく食べることが出来た。7時30分気温も上がってきたので雨具を脱ぎ出発、ゴミを出すため昨日のコンビニへ先ず向かう、というのもここの道の駅ではゴミはお持ち帰り下さいとの表示が至るところにありゴミ箱が設置されていないからだ、コンビニも同様にゴミ箱が見当たらない・・・レジのおばさんに自転車旅である旨告げゴミを引き取って貰うよう依頼したが「お持ち帰り下さい」の一点張り、仕方なくゴミを積載したまま走行することとなった。

10km走行した8時30分頃落合という集落で5分間休憩をとり今回の旅で最大の難所と予想していた標高650mの狩勝峠に備えた。今日は谷さんの甥っ子が札幌から大型のオートバイで我々と一緒に走ってくれるということで峠の途中で合流する手はずになっていた。頂上へ向かって超低速で走っているとオートバイが一台我々を追い越し道路脇で停止、谷さんは甥っ子との再会を喜び合い峠頂上で再度合流することにした。9時40分過ぎ狩勝峠頂上に到着、十勝平野への雄大な展望を満喫出来た。名古屋に住む自転車仲間から峠での蒸かしジャガイモは絶品ゆえ是非食べて欲しいといわれていたが残念ながら販売されていなかった。

記念写真を撮った後10時出発、甥っ子は車から自転車を守るように後方を低速で走ってくれた。でも狩勝峠のダウンヒルを我々も4050km近い高速で楽しみ、平坦部へ出ても追い風と緩やかな下り坂でルンルン気分の走行、18km程走行した1040分頃新得付近で10分間休憩を取り次いで10km走行した1120分清水の市街地で昼食を採ることにした。途中でねずみ取りの現場に遭遇・・・今日は秋の交通安全運動初日と教えて貰い納得、ガンガン飛ばす北海道内の車もこの一体ではおとなしい走行に見えた。さて食堂では「十勝に来たら何が何でも豚丼」との旗につられて豚丼(800円)を3人とも注文、シンプルだけど肉は軟らかくタレも丁度良い味付けで美味しい、最初は量的に不足かなと思ったが食べ終わると大食いの私にも適量だった。

12時お店を出たところで甥っ子さんはここから国道274号線で日勝峠経由で札幌へ帰ることになりお別れ!自転車走行のガードを有り難うございました。再び自転車二人での走行へと戻り13km走行して御影付近のドライブインで10分休憩、次は9km走行したところで芽室のスーパーに寄り道して谷さんが固形燃料を購入、帯広市街地中心部へ進入したのち国道38号線から左折国道241号線へ入り155分今日の宿泊予定地道の駅「音更」に到着した。帯広市街地に近いこともあって活気溢れてるが宿泊には問題ないと判断、地元の高齢者が話しかけてきて「今夜は冷え込むからこの近くの温泉宿に宿泊された方が良い」と有難い忠告を頂いた。今朝方の冷え込みを思い出した二人は直ぐにその気になり温泉宿へと再び走り始め1km強走行して到着し、フロントで空室の有無を問うとなんと満室!温泉に入る気にもなれず再び道の駅に戻った。戻る途中でスーパーに寄って朝食を購入、九州の道の駅では弁当を販売してるのは常識に近いが北海道の道の駅で弁当の販売はなく不便だ。

道の駅広場の端で農産物を販売してるおばさんに谷さんがテントを張ることを承諾してもらったので明るいうちに宿泊準備を整え、その上ダンボールを借用できたので今夜は安眠出来ると安堵した。夕食は1730分から楽しみにしていた道の駅中華レストランのバイキング(1180円)で意識的に野菜類を沢山食べ大満足、歯磨き等を済ませ1830分頃には早くもテントに入り込んだ。

まもなくオートバイの大集団が轟音と共に我々のテント近くへやってきて大騒ぎ、テントを広げ始めたので外へ出て言葉を交わすと横浜からやってきた中高年ライダーの十数台の大型バイク、真新しいテントを大騒ぎしながらの展帳作業、別の人は大きな鍋で夕食作り、自転車の我々がテントで宿泊してることを承知し「遅くまでは騒ぎませんから」とは云ってくれたものの結局は22時過ぎまで酒宴は続き、安眠どころか騒音でなかなか寝付けない夜となった。

 本日の走行距離:89km・走行時間:5時間35

 

第七日目9月22日(火)曇り後時々霧雨:帯広から池田

4時55分起床、トイレに行くと駐車場はなんと満杯に近い状態だ・・・キャンピングカーも沢山、さらに道の駅建物の庇下ではオートバイの青年が寝袋でごろ寝していたり、テントも数張り見受けた、さすが秋の大型連休期間だと改めて感心した。さて今日は曇り空で午後から雨が少し降るかもしれないとの予報だがこれまで順調な走行が続いおり、予備3日間は手つかずのままだ、谷さんが若い頃仕事で帯広の近くに数ヶ月間滞在していたのでそこを訪れたいという彼の希望でその方面へ寄り道することにしていた。朝食は昨日購入したトウキビを茹で、パンと牛乳という私にしては珍しい食事だ。出発準備を終え記念写真をと思いうろうろしていると札幌ナンバーの車の傍らで大きなガスボンベを使って朝食を作っておられた高齢の夫妻と会話を交わしシャッターを押して貰った。このような高齢の夫妻が道の駅を利用して車中泊の旅という姿は決して珍しいものではないと確信が持てるようになった。

7時10分出発、国道241号線を南下、次いで道道73号線を東進した後利別川に沿う国道242号線を北上した。北上する頃は向かい風で直線道を走るため思いの外時間がかかり目的の集落には9時40分頃に到着した。私と同様谷さんも浦島太郎の心境のようだ、30分後引き返すと今度は追い風快調に走り1050JR利別駅前で休憩とした。

空模様はどんよりとしており天気予報通り雨が来るかもしれないから今日は道の駅ではなく宿に泊まろうということになった。一番近い道の駅は中札内だ、その近くには帯広八千代YHがある、YHに電話を入れ予約完了でほっとした。次は昼食だなと思いながらJR利別駅前を出発しようとした時、谷さんが「雨があの山まで来てる」と北東方向を指差した・・・確かに雨が迫ってきた・・・これからYHまでの50kmを走る余裕はない、この駅近くにもYHがある、まず食堂探しからという相棒に逆らいYH探しへとやや強引に走り始めると直ぐに見つかった。宿泊OK、八千代YHへ電話を入れて快く解約成立、「池田北のコタンYH」のペアレント(YHの主)は直ぐにチェックインして良いと1115分という時間なのに部屋に案内してくれた。昨年秋島根の石見銀山からしまなみ海道を通り四国へ走った時台風接近のためYHに連泊したときそこのペアレントは雨で昼間も滞在したいという私に宿泊費とは別に料金を請求したことを思い出させた。

ペアレントの薦めで近くにある池田ワイン城を観光する為雨具の準備をして125YHを出発、5km走行して20分後に到着、早速3Fのレストランへ行くと超満員、予約を済ませてから1Fのワイン試飲場所で楽しんだ。醸造施設・貯蔵庫・売店等を見て歩き再びレストランへ、しばらく待っているとやっと順番が巡ってきてお薦めの池田ランチ680円を注文した。ご飯と味噌汁はおかわり自由、すべてに大満足して1410分ワイン城を後にしてYHへ向かい1425分今日の走行を終えた。

YHではお風呂が沸いており直ぐに入浴・洗濯 を済ませ、早々と缶ビールで谷さんと乾杯。1830分から夕食、宿泊客と一緒にペアレントも食卓を囲むという初めて経験する珍しいスタイルのYH、鉄道の旅を楽しんでる無口な中年男性と自転車旅行の青年、5名で会話を楽しみながら贅沢な食事となった。心配した雨も結果的には霧雨が時々降った程度だったがこのYHに宿泊出来た事に満足しつつ20時に就寝。

本日の走行距離:58km・走行時間:3時間40

 

第八日目9月23日(水)快晴:池田から忠類

4時55分起床、オートバイの青年2名が早くも出発していった・・・素泊まりの旅人だったのだろう・・・当方は国道236号線を南下し襟裳岬を目指す途中にある中札内・忠類・大樹と道の駅が3ヶ所もあるので適当なところで野宿すればよいと気楽な気分で一日が始まる・・・朝食は夕食時と同じ顔ぶれで7時30分から、ペアレントとのんびりと会話を楽しみながら食事を終え朝刊にも目を通し、8時35分に出発した。

国道38号線を西方向(帯広市街地)へ向かって走る・・・直線道路もこの快晴のもとではすがすがしく気持ちがよい、その上気温も高めとの予報で熊本の夏場と同じ上は半袖ジャージ一枚、下は七分丈のズボンという服装で軽快に走る・・・約19km走行した9時40分頃帯広市街地手前で札内川の橋にさしかかった。河川敷が広くグランドゴルフや野球広場が何面も整備されており驚くばかり、堤防上に遊歩道が整備されていたのでこの札内川に沿って南下、散歩していた高齢の男性から公園が直ぐ近くにあると教えて貰い更に3km程走って10時5分から10分間休憩(河川敷内の公園に入るには凄く遠回りになりそうなので堤防上の道路脇で)した。堤防上の遊歩道を南下しているといつの間にやら小さな支流に沿って走っており国道236 号線へ一旦出た後愛国大橋を渡り札内川の右岸沿いの道を南下していると有名な?「愛国駅」への標識が出現したので寄り道することにした。

朝から45km走行した11時頃愛国駅に到達、当然のようにSL機関車と駅舎内にはいろいろな資料が展示してあり、更に隣接して公園も綺麗に整備されていた。時間的には早いけどここで昼食休憩とした。昼食は公園のベンチでお湯を沸かし谷さんのコッフェルを借用、17日滝川で頂いた缶詰ご飯と即席味噌汁で雑炊にして食べた。これまでの自転車旅すべてをとおして昼間このように食事を作った?のは初めての経験、次回の旅からはコッフェルを準備して食事を作るという楽しみも加えようかなと思った次第。

食べた後のゴミは駅舎周辺の落ち葉を掃除していた高齢の男性に依託して1230分走りを再開し国道236号線に出て南下、約6km走り大正町にさしかかったとき「大正町メークイン祭り923日」の旗が道路脇に立ち並んでいたので寄り道することにした。国道から左折、農協の大きな建物が出現し警備員の誘導に従い会場へ1255分頃到着、大勢の人で賑わっておりその中に行列が出来ている、よく見るとメークイン試食会場との看板が目についた、我々も直ぐに行列に加わった。行列が進んでいくと大きな蒸かしジャガイモ2個とバターが添えられたトレーを貰っている・・・相棒の谷さんが大きな声で「北海道は肝っ玉が太いな-」と・・・木陰に座り込み昼食を終えたばかりなのに2個とも綺麗に食べてしまった。ここでもゴミは自宅へお持ち帰り下さいとの張り紙が至る所に張り出してあったが、私は試食会場の男性スタッフに自転車旅行中だからと断りゴミを引き取って貰った。30分後メークイン祭り会場を後にして国道236号線に出て南下を再開する頃には向かい風となり快調な走りもだんだんと遠のいていき、7km程走行したところ幸福駅への標識が現れたのでここも寄り道することにして国道から左折し1355分到着した。木造の駅舎は古びた感じでその上訪れた人々の記念の名刺等が壁にいっぱい貼り付けられていて汚い感じだった。救いだったのは駅前広場の手押しポンプが現役で活躍しており美味しい冷たい水をボトルに補充出来たことだった。

10分後には早々と出発、7km走行して1435分中札内道の駅に到着した。昨日キャンセルしたYHはここから西へ更に10数キロ走らなければならなかったのだから、池田北のコタンYHに宿泊したのが正解だったと自己満足した。中札内道の駅も人出が多く活気があり宿泊適の場所も見いだせたのだが、温泉があるからと次の道の駅「忠類」まで走ることにして、10分後出発、国道236号線はここから南東方向へ向かうが相変わらず直線部分が長く広大な畑の連続、向かい風で気温も下がり始めて来たためウインドブレーカーを着用、疲れを感じつつ23km走行して1610分道の駅忠類に到着した。温泉ホテル・道の駅・ナウマン象記念館と新しい立派な建物が並んでいるが道の駅等の建物には肝心の庇部分がほとんど見当たらないのだ、ナウマン象記念館の横に公園がありその中にはグランドゴルフ場が整備されており数人がプレーを楽しんでいたがプレーする人のための東屋にテントを張ることにした。

テントを張り終え、近くのコンビニへ出かけて夕食の弁当を購入し18時頃から食事、食後の19時頃から温泉へ(500円)、温泉ホテルのフロントマンから明日の天気予報(曇り、午後からは降水確率40%)と、但し襟裳岬周辺の天気は気まぐれ故予報は当てに出来ませんよと親切に教えて貰い、2050分就寝となった。

本日の走行距離:76km・走行時間:5時間10

 

第九日目9月24日(木)曇り一時小雨:忠類から百人浜(襟裳岬近く)

5時起床、濃霧が発生しており霧雨状態、走るべきか留まるべきか迷うが相棒は走ると云うので行けるところまで走ることにして出発準備にかかる。先ずテント撤収、朝食は缶詰ご飯と即席味噌汁にして荷物を軽くした。食後洗面とトイレを済ませ自転車に荷物積載していると・・・おや?ウエストポーチが見当たらない??トイレに忘れたのだ!!・・・急いで公園のトイレへ駆けつけると谷さんが使用中だ「谷さん後ろの棚にウエストポーチが置いてない?」「ないよ」「えっ本当にないの!」しまった・・・現金・財布(多少の現金とカード2種類)カメラ・携帯電話が入ってるのだ・・・誰かが拾って道の駅等のスタッフへ届けてくれてるかな・・・道の駅は開店前だ・・・ならば温泉ホテルかな・・・と歩き始めると駐車中のキャンピングカーから中年の男性(A)が降りてきて「何か探してますか?」と声をかけてくれた。私が「トイレにウエストポーチを忘れたのです」と、A氏「警察に連絡中ですから警官が見えるまで待ってて下さい」と、私「ウエストポーチはここにあるのですか?」、A氏「ここにはありませんが別の人が持ってます」と別のキャンピングカーへと足を運ぶのでついて行くとB氏が降りてこられた。事情を了解されたB氏が車の中からウエストポーチを持ってこられて私に渡し、警察に連絡してますからしばらくここにいて下さいと、パトカーが到着し身元確認をしたのち、落とし主がはっきりしたのでお互いに話し合って下さい、正規の拾得物扱いはしませんと告げて帰られた。善意の人に拾って貰い助かった・・・若し悪い人に持って行かれていたらこの旅はここまでとなったことだろう。

このような大事な物忘れこれで二度目だ。最初は3年前の春サイクリング仲間4名で錦帯橋・宮島・呉を訪れた帰路でJRの乗り換え駅で電車を待ってるときベンチにリックを置いたまま自転車だけを担いで電車に乗り込み発車後リックがないことに気づき車掌から駅に連絡を取って貰い私だけ引き返しリックを受け取り一列車遅れて帰熊しただけで済んだのだった。3度目はこのように無事では済まされないかもしれないから心して行動(旅から帰宅後妻からウエストポーチは身体から離さず首にかけることと厳重注意を受けた)しよう。

一件落着、7時50分雨具着用して出発、先ずは反対方向へ走りコンビニへ寄り道しゴミを返却、そこへ世界一周の荷物も積載できるような頑丈な自転車に乗った高齢の旅人がダンボール返却に出現、会話を交わすと77歳・沖縄那覇の人、日本縦断北上中、ここ忠類でグランドゴルフが面白いのでもう7日間も滞在(野宿)見物していると・・・自分ではプレーしないに7日間も素人の遊びを見物とは上には上が居るものだ。彼から貴重な情報を貰った、私は襟裳岬では民宿に泊まる予定で走り始めたのだが「襟裳岬手前の百人浜キャンプ場が素晴らしい、お風呂も近くにある」というものだった。このキャンプ場は地図に載っていたが襟裳町のHP観光案内ではこのキャンプ場について何も触れてないので当てにしていなかったのだが彼の情報で決心変更キャンプ場を目指すことにした。

彼と別れ襟裳岬目指して国道236号線を南下、先ほどの警官が乗ったパトカーとすれ違うときスピーカーから「安全な旅を続けて下さい」と激励を受け落ち込んでいた気持ちも明るさを取り戻すことができた。谷さんも「あのようにスピーカーをとおして云われると親しみを感じるよ」と、10kmほど走ると道の駅大樹に到着、ショッピングセンターと併設されてるようでピンとこないので直ちに出発、忠類から35km走行して広尾市街地に105分到着、この町で食料品を購入しないと襟裳岬までお店はないよと相棒に告げるもなかなか信じてもらえない、コンビニへ入りこの先お店の有無を問うと無いとの返答で買い物することに同意し、昼・夕・朝の3食分をスーパーで調達し1050分走りを再開した。

襟裳岬への道路は熊本における計画段階では簡単に考えていたが、道東へ入り地元の人から聞かされる話では相当の難所と思われるようになった。道が狭くトラックが多い・トンネルや洞門が多くかつトンネル工事等が引き続き行われてる・風が強い・海岸には大波が打ち寄せ道路は波しぶき更に打ち上げられた石ころが散乱している・天候は気まぐれで予報など当てにならない等数人から危ないから注意して走るようにと云われてきたのだった。実際走り始めるとかなりの部分でその通り危ないと思われる状況が現れてきた、まず向かい風、霧がかかりすっきりしない天気、道路には水たまりが多く時折波しぶきがかかりそのような場所には風よけ・しぶきよけの塀・洞門・更にその箇所を避けるようにトンネル工事がおこなわれていたが幸いなことにまずまずの条件下で走行ができた。一時間・約10km走行したところで音調津の漁港で昼食休憩とした。

お弁当を食べているとカラスが現れて隙あらば掠っていこうと私どもを注視しその上仲間を呼んでるような鳴き声を出してる。昨年5月大分の道の駅「佐賀関」でカラスに食料を掠われたことを思い出した。最後になって残していた唐揚げを投げ与えるとるとジャンプ一番見事な空中キャッチを披露してくれた。

25分後の125分走りを再開し広尾町と襟裳町との境界を過ぎたあたりで霧が消え太陽の日差しが戻ってきたので雨具を脱しての走行に移行した。14時頃多くのサイクリストが記念写真を撮ってる黄金道路の記念碑が出現し我々も記念写真をパチリ、15時頃には百人浜へ到達し標識に従ってキャンプ場へと右折、これまでほとんどが平坦路だったのだが、向かい風で疲れた身体は新たに出現したわずかな登り坂にも悲鳴を発したくなる有様だ。15時5分綺麗に整備されたキャンプ場へ到着、管理棟で一人300円の使用料を払い草地の上にテントを広げる。先客が一名、テントを広げる前にコーヒーを湧かしているなんて凝り性の人かな、札幌からランドナー(旅行用に作られた自転車で昔全盛で、今は少ない)で走ってきたとのこと、谷さんに言わせると自転車とか装具の自慢ばかりするから面白くないとその後我々との会話は少なくなった。テント宿営の準備を終えた我々は16時頃歩いて町営の「高齢者交流センター」内のお風呂へ入浴料300円(キャンプ場のシャワーは200円)を払い3日連続の入浴となった。キャンプ場は屋外にテーブルがあり17時頃から谷さんとの楽しい夕食タイムを持ち、19時には早々と就寝となった。草地の上でペグ8本使用して完全な形でテント展帳したのは今回が最初、テントの中は広く且つ地面が柔らかくてキャンプ場フアンとなってしまった。

眠りについた頃携帯電話で起こされた・・・何事だろう??・・・珍しく妻からのもので防衛省から電話連絡をとって欲しいとの伝言で、時計を見ると20時だった。単独の旅ではなく二人で旅してるから「電話がないことは無事である証」ということで積極的には電話をしないのだが・・・悪い知らせではなくホッとした。

その後寝つきが悪いのかウトウトしているとテントの外でなにやら足音が・・・トイレに行くのなら他人のテント近くをわざわざ通ることもないのに無神経な人だと・・・再びウトウトとしていたはず・・・ガサガサと物音・・・慌ててテントから顔を出すと狐がテント前室(テント出入り口とフライシートで出来る物置用の空間)からゴミ袋を引っ張り出しあさっていた・・・とっさに「コラッ」と一喝・・・狐は逃げだして一件落着、トイレに行きその後スヤスヤと。

本日の走行距離:76km・走行時間:6時間10

 

第十日目9月25日(金)晴れ:百人浜(襟裳岬近く)から三石

5時30分起床、私より早起きの谷さんは朝食の準備中だ、シジミの味噌汁をご馳走してくれるとのこと、私はせっせとお湯を沸かした。キャンプ場の駐車場では神戸ナンバーの高齢のご夫妻がガスバーナーを使い朝食の準備中、夫妻で山に登り写真を撮るのが趣味とのこと、乗用車タイプの車中泊では疲れが取れないのではと心配してしまう。別れ際に奥様から登山では貴重品と思われるビスケットを頂いてしまった。もう一台は青森ナンバーのクラシックタイプのスポーツカーの中年男性だ・・・今日の天気だとオープンカーにして走れると喜んでいた。朝食を終え洗面・トイレを済ませ8時キャンプ場を出発、晴天もさることながらこのキャンプ場の設備や手入れの良さに連泊したい気持ちになった。

襟裳岬に向かって走るとやがて登り坂が出現、海岸近くの海では昆布採りの真っ最中、9km走行して8時40分頃岬に到着、残念ながら海霧が出ており視界不良、記念写真を撮っていると谷さんに会社から電話が入り出来ることなら30日ではなく29日に帰熊したいと、予備日が3日間も残ってるので旅を一日短縮することは全然無理ではないから一応29日の航空機で千歳を発つ積もりで旅を続けることにした。この後は千歳へ向かって道道34号線・国道336号線を北西方向へ淡々と走るだけだ。8時55分岬を後にして走行を再開するとアップダウンが連続して出現、その丘陵地帯で道路脇に鹿の群れ、写真をと思い慌ててカメラを取り出しているとボスとおぼしき鹿が走り始めると群れ全体が逃げ出してしまい残念ながらシャッターチャンスを失った。岬から約13km走行した10時頃襟裳町市街地に入り「水産の館」という建物が出現休憩を兼ねて見学することにした。公共事業の箱物代表例と言えそうなくらい建物は立派だけど観光客は気付かず通り過ぎるか、又は建物入り口が判らず諦めるような全体配置、展示物はそれなりに立派だ、一通り見学して15分後に出発した。

12km走行した1115分頃対向してきた大型バイクが左右に車体を振り我々に合図を送ってきた・・・谷さんの甥っ子が今日も一緒に走って自転車の我々をガードするため札幌を早朝出発してきたのだった。3人で11km走行した1210分様似の市街地に入り国道脇の居酒屋風の食堂で銀鮭定食1200円を食べた。イクラがとても美味しかった。今日の宿泊予定地を道の駅「三石」としていたがその横にキャンプ場との地図情報で今日もキャンプ場に泊まることにして1315分向かい風の中を走り始めた。約20km走行した1450分頃浦河の市街地に入り国道をそれてスーパーに寄り道食料を求めることに、甥っ子さんとはここで別れ彼は札幌へと走っていった。

 買い物を済ませ1520分スーパーを出発、15km走行して1615分やっと道の駅「三石」に到着した。直ぐに案内所に出向き、大人二人それぞれにテントを張りたいと申し込むと、ここはオートキャンプ場で一区画5千円、自転車やオートバイの方がテントを張るフリーエリアはありませんと予期しなかった返答が受付の女性事務員から発せられた。私はすかさず「道の駅の一角に邪魔にならないようにテントを張ります」というと「許可は出来ません」との返答だった。仕方なく案内所を出て谷さんと相談、道の駅をぐるっと歩いて寝場所を偵察、温泉付きのホテルは一泊二食で1万円からとなっており選択肢には入らない、オートキャンプ場だと一人2500円だ・・・私は心が動く・・・相棒は問題外といって駐車場の外れにある草地にテントを張ると云う、私もそれに従い自転車から荷物を下ろし始めると先ほどの女性事務員が駆けつけてきた。「町が有料のキャンプ場を運営しているのに、道の駅で無料のテントが張ってあったと町長に誰かが告げ口したら私達が困ります、以前使用していたキャンプ場跡地が近くにあるからそこにテントを張って下さい・この先に電気と水が使える釣り人の無料小屋がありますが空いているかどうかは判りません」と彼女は説明した。従業員を困らせることは本意ではないので事務員の言葉に素直に従いキャンプ場跡地に向かうことにした。

夕闇が迫っており慌てて荷物を積載して教えられた道順で走ってきた道を引き返す・・・荒れ地の中に古びた屋根・テーブル等キャンプ場を忍ばせる施設が見えてきた。荒れ地に進入する道などなく自転車を押し雑草を踏みしめて炊事場跡とおぼしき屋根の下にたどり着くと狭いながらもコンクリで作られた足場がありその上にテントを広げた、谷さんはテントの形状からその足場は利用し難く雑草の上に借用してきた段ボールを敷き詰めテントを展帳、真っ暗になる前にはお互い準備完了、19時頃からテントの中で夕食をとり20時前には就寝とあいなった。

本日の走行距離:82km、走行時間:5時間50

 

第十一日目9月26日(土)晴れ:三石から厚賀

  朝方雨音で目が覚め時計を見ると3時30分だ・・・天気予報では雨が降るなんて一言も言ってなかった・・・腹をくくって再び眠りに・・・530分頃には雨音がしなくなった。谷さんが起き上がり濡れたテントを乾かし始めている、私のテントは大部分が屋根の下に入っていたので濡れている箇所をタオルで拭くだけで充分だった。テントを撤収し7時20分頃から朝食、7時50分道の駅へ移動して洗面・トイレを済ませて、テントを乾かしてから道の駅へ移動してくることになっている谷さんを待つことにした。待ってる間に昨日の女性事務員が出勤してきて笑顔で挨拶「昨夜は寒かったけど眠れましたか」と優しい言葉、次いで50歳代とおぼしき男性と会話・・・札幌から襟裳の実家へ墓参りに向かう途中とのこと、ホタテの貝殻を有効利用すべく色々試みているとのことだった・・・そういえばテレビでホタテの貝殻を活用して道路舗装材の試作品を研究してる番組があったような記憶が甦った。

やがて谷さんが出発準備を終えて道の駅に、今日の宿泊予定地を道の駅「鵡川」又は門別のキャンプ場にして9時三石道の駅を出発した。雨の心配はなく晴れの天気なのだが向かい風が強く、その上アップダウンの為低速走行となり、水平線が見える海岸道でも景色を楽しむ余裕はなく黙々とペダルを漕ぐだけ、11km走行して9時50分頃やっと三石の市街地にさしかかり10分休憩、次は9km走行して1030分頃静内の市街地に入り10分休憩、東静内には昭和37年頃対空射撃訓練で訪れたことがあるのだがやはり浦島太郎の気分だった。

ここから16km走行した125分頃新冠の道の駅に到着昼食休憩、レストランのメニューを見て十勝清水で食べた豚丼を思い出し同じものを注文(730)、味の差は不明!空腹が一番のご馳走といわれるとおり自転車で走るととにかくお腹が空くから何を食べても美味しいのだから幸せだ。食事を終え自転車の位置へ戻ると大型バイクが駐めてありタイミング良く戻ってきたライダーは黒皮の服をピッシと決めた細身の若い美人だ、小樽から一人でツーリングを楽しんでる、1000ccクラスのバイクかと思ったら取り扱いが容易な250ccのエンジンですとの説明、これから山道に入り峠を越えて走るとのこと、聞いたことがない地名だったので再度確認すると「あらっ!あなた方は道外の方なのね」でお終い・・・走り去っていった。

我々も続いて1250分に出発、相変わらずの向かい風とアップダウンで時速10km以下、大型トラックも増えてきており疲れが出てきたようだ。後方から接近する大型トラックへの注意力が散漫となり始めてきたようで不意に追い越される場面が生起した。10km程走行した14時頃道路脇の牧場近くで放牧の馬を見ながらトイレ休憩、谷さんも疲れで注意力が低下してるように見受けられたので今日の目的地変更を彼に相談した。向かい風に苦しみ、後方から接近するトラックに気がつかないようであれば交通事故に遭遇する可能性が大きい、29日千歳を発つにしても予備日は未だ2日もあるから今日の走行は次の集落までとして旅館泊でゆっくり休息しようと・・・彼も直ぐに同意してくれ10分後に出発した。

3km走行したところで厚賀の市街地入り口でコンビニを発見、早速旅館の情報を入手し、国道から離れて旧道の市街地へ進入し目指す旅館に1420分に到達、一泊二食6300円で宿泊が決まった。旅館側は直ぐにお風呂を沸かしてくれるし、洗濯機も無料、でも乾燥機はなく庭の物干し竿を利用した。夕食は18時から宿泊客は我々だけ、毎度のことだが完全喫食で出されたものはすべて美味しく食べてしまう。

天気予報では明日までは良い天気だ・・・1930分には就寝とした。

本日の走行距離:49km、走行時間:4時間10

 

第十二日目9月27日(日)晴れ:厚賀から千歳

6時10分起床、風は収まり快晴だ。でも天気予報では明日・明後日は曇り時々雨となってる。7時からの朝食時に谷さんから天気が悪くなり走れないから早めに帰熊しようとの提案だ。私も同意して今日の走行次第で29日の帰熊予定を更に早めることにした。

8時記念写真を撮ってから出発、アップダウンはあるものの僅かながら追い風が吹いている・・・昨日とは反対に好条件快調に走る・・・谷さんと昨日の旅館泊は正解だったとお互い満足しつつ走り20kmを1時間10分で走り富川市街地手前の沙流川堤防で10分休憩、4km走行したところでドライブインが出現しここでも10分休憩、次いで8km走行して1010分には道の駅鵡川に早くも到達した。この道の駅も立派な建物で温泉付きの宿泊施設と一体だ、でも道の駅自体には活気が感じられない、ここまで約32kmを2時間程度で走ってきたので千歳まで約50km14時過ぎには千歳着可能と判断、谷さんに明日千歳発帰熊することで行動しようと告げ同意を得た。

1020分道の駅を出発・・・この旅も今日が最終日名残惜しいなーと思うとペダルも軽く感じられ、18km走行した1125分頃苫小牧石油基地近くで10分休憩し16日宿泊した旅館へ電話を入れ本日の宿泊を依頼・・・日曜日は夕食なしとのことだった。千歳空港へ向かってるとき私が道を間違え国道235号線から36号線へ向かう為には左折すべきところを逆に右折して234号線へと入ってしまった。直ぐに気付いたのだが道が広すぎてUターンがしにくい・・・地図を見るとこのまま10km弱走り道道129号線へと左折すれば遠回りとなるが空港へ向かうことが出来る・・・まあいいか時間はたっぷりあるからとそのまま走ることにした。道道129号線との交差点へ出る前にJR植苗駅への標識を頼って細い道へ左折、これでよかったのかなと不安な気持ちで走行していると車が極端に少ないのに片側2車線の広々とした素晴らしい道道129号線へでた。安心して走行できるのは嬉しいのだが無駄な道路建設ではないかと複雑な気持ちになった、それでも苫小牧周辺の広大な原野の風景を楽しみ、空港近くなのに「熊出没注意」の看板を疑いの気持ちで見たりして1320分千歳空港に到達した。

谷さんが自転車の見張り役、私はJALのカウンターへ直行、マイレージで予約した30日の便を明日28日に変更したいと申し出た、予約変更可能な期日を過ぎているので変更は出来ないという返答、仕方なく65歳以上の高齢者は当日空席があれば一区間1万円で搭乗出来るという制度を利用することにして空席状況を確認すると搭乗は可能だ、次に谷さんの変更手続きを申し出ると早割で購入された航空券は変更できませんとの回答、谷さんは高齢者搭乗には未だ若すぎるから正規の運賃を払ってまで帰熊することはないはずだ、予定通り30日の便で帰熊することになると考えると肩の力が急に抜けてしまった。

谷さんの元へ戻りことの顛末を説明して千歳の旅館へと向かって7km走行、1420分旅館に到着した。自転車を旅館に置き、駅前のラーメン屋(谷さんは私を待ってる間にタクシーの運転手から美味しいラーメン屋の情報を入手)へ入り遅い昼食(塩味野菜ラーメン750円と餃子300円)となった。ラーメン屋の主人の勧めで道の駅も併設されてるサーモンパークへそのまま出かけて見学、広い公園を見て谷さんは野宿へ気持ちが傾いてきたようだったが私は反対、明日以降天気は崩れそうだ、ならば旅に出かける前に決めていたように旅館へ逃げ込むのが良いと、彼も市街地のど真ん中での野宿はやはり問題ありだと私に同意してくれた。

千歳川堤防上の遊歩道を歩いて16時前旅館に到着し女将さんに改めて3連泊となることを伝え旅の初日に泊まった部屋の鍵をそれぞれ受け取り、私は駐車場へ出て早速自転車の手入れ・清掃を、谷さんも出てきて一緒に自転車を綺麗にした。入浴を済ませ部屋でテレビを見ながら缶ビールと焼酎を楽しみ、携行していた非常食等の食料で夕食を済ませ20時には就寝となった。

本日の走行距離:84km、走行時間:5時間10

 

第十三日目9月28日(月)曇り後雨:千歳滞在

5時には目を覚まし早速テレビのスイッチを入れニュース・天気予報に見入る、千歳は9時過ぎから雨となってる。二度寝して6時30分起床、太陽が顔を見せている・・・7時から朝食、谷さんと相談してとりあえず支笏湖へ走ろう、若し天候が悪化すれば直ちに引き返すということにして8時雨具を携行して自転車に跨り出発する。

既に太陽は姿を隠し雲が垂れ込めおまけに強い向かい風だ。気持ちが高揚せず走りたくないとの思いが強くなってきた・・・「谷さんどうする?支笏湖へ走る?」、「走りましょう」・・・少し走ってから「谷さん悪いけど僕は引き返すよ、このような天気の時支笏湖へ行っても見晴らし悪いし、天気の良い日に楽しく走りたいよ、谷さんはどうする?」「一人でも走ります」との元気な声、私は彼に簡単な地図を渡すとともに、この道道16号線をまっすぐ走れば支笏湖へ行くこと、途中から右手には千歳~支笏間のサイクリングロードが出現することを教えて彼と別れ旅館へ戻った。

再び布団に潜り込みうたた寝、昼頃町へ出かけ買い物と貯金の引き出し、13時過ぎ谷さんが帰ってきた・・・支笏湖まで走った、雲が垂れ込め景観は楽しめなかった、帰路にはサイクリングロードを走ったが熊に注意の標識が出ていたので怖かった、往路は緩い登りで強い向かい風、帰路は楽ちんだったが寒かったとのことだった。

彼が帰ってきた直後から本格的に雨が降り始めた。17時から入浴、18時から夕食、1930分就寝

本日の走行距離:2km、走行時間:10

 

第十四日目9月29日(火)晴れ:支笏湖往復

6時30分起床、7時朝食、谷さんは苫小牧方面へ走りに行くという、当方は支笏湖へ走るということで別行動ということになった。天気は晴れだがやはり風が強い、サイクリングには昨日とは比べものにならないほど好条件だ、8時10分出発・・・裏道を走っていくと路肩には未だ水たまりが残ってる・・・道道16号線へ出る、向かい風が冷たく感じられる・・晴れで気温は高めとの予報で薄着で出かけてきたのだがこれから標高300mへと登るのだが・・・Uターン旅館へ引き返す・・・半袖ジャージ一枚だったので下着を着込んで8時35分再び出発する。相棒と同じように往路は道道を、帰路にサイクリングロードを走ることにしてした・・・緩やかな登りの道路の左右には国有林が延々と続く、空気は綺麗で気持ちよいのだが景色が単調でしかも直線部分が多い約30km2時間走行してやっと支笏湖湖畔に到着した。40年と比べると観光施設が立派に整備されておりやはり浦島太郎の気分だが湖畔から見る恵庭岳等の遠景は同期生と訪れたときのことを思い出させてくれた。資料館を見学し、多くの観光客(韓国?中国?)に混じりシャッターポイントで押してあげたり押して貰ったり・・・湖畔を走ってる国道433号線を少しだけ走り1130分過ぎ帰路についた。サイクリングロードは綺麗に舗装され走り安いはずだが路面には多くの落葉と枯れ枝が散乱しておりかなり気をつけて走らなければならなかった。感心したことに「ここから○kmの間は幹線道路へ出ることが出来ません」と注意を促す標識が整備されていた。しばらく走っていくと谷さんが云っていた「熊に注意」の標識と共に「急な下り坂走行注意」とあり路面には多くの落葉、迷うことなく少しだけ引き返し幹線道路へ出てダウンヒルを楽しむことにした。

 千歳市街地に近づいたところで旅の初日に訪れたアウトドア用品店へ行き航空機に載せることが出来ない危険品扱いのガスカートリッジを譲渡してきた。1310分宿に着き直ぐに隣の食堂へ出かけチキンカレーを注文すると売り切れご飯もないとのこと、ガッカリしてコンビニ弁当を買い求め部屋に戻り無事走行を終えたことを祝して缶ビールで一人乾杯、1430分頃から自転車を分解して輪行袋に入れ、次いで宅急便のダンボールへ荷物を入れて帰宅準備が完了した。

16時頃相棒は苫小牧港方面散策から戻り帰宅準備にとりかかった。17時から入浴、18時から缶ビールと焼酎で900km走行した旅がトラブルなしで無事終えたことで毎日のことながら祝杯を挙げつつ夕食を摂り、明日は9時旅館を出発することにして20時に就寝とした。

本日の走行距離:63km、走行時間:3時間50

 

第十五日目9月30日(水)晴れ後雨:千歳から熊本

6時20分起床、7時から朝食、9時出発と昨夜話し合っていたのに谷さんいきなり8時30分出発と女将さんに告げている・・・空港まで旅館の車で送ってもらうことになってるので仕方なく8時30分準備を終え旅館前で記念写真を撮ってから空港に向かう。車だとわずか10分で到着、直ぐに搭乗手続きをとって自転車を預け身軽に・・・福岡空港で自転車を厳しく検査されたので今回は手際よく準備してすんなりパスした。出発は1050分だ・・・時間をもてあまし、空港ビル屋上の展望デッキへ出て航空機の発着を見つつ時間を潰す。

定刻より10分程遅れて離陸、青森の下北半島・津軽半島・十三湖周辺をしっかりと見て、鳥海山を見たあたりから雲が出てきて視界不良に・・・福岡は雨との予報だから仕方ない。定刻より10分程遅れて1325分福岡空港に到着した。1350分発の高速バスに間合うか心配していたが自転車を直ぐに受け取ることが出来てバス乗り場へと急いだ。

熊本行きのところには大きな荷物を持った東南アジア系の女性が一人だけ、彼女が会釈をしてくれたので思い切って話しかける・・・マレーシアから電波高専に日本の国費で留学中、既に一年半勉強して、残り一年半とのことだった。定刻通りバスに乗り込む、次いで国際線ターミナルでは係員が運転手に「この方は日本語を全然話せません、熊本のバスセンターまでお願いします」と告げ、中国人らしい中年のおばさんが一人で乗り込んできた・・・途中携帯電話で数回連絡をとりあってるから心配は不要のようだ。マレーシアの留学生は西合志で下車、我々は武蔵ヶ丘で下車した。晴れの天気ならバス停で自転車を組み立てて自走で帰宅するところだがあいにくの雨、谷さんは家族が車で迎えに来てくれるとのことだが未だ到着してない、私はタクシーを呼んで後部座席に輪行袋を後部座席に、本人は助手席へ乗り込み1530分頃我が家に到着し北海道の旅は無事終了した。

 

全走行距離:892km

全走行時間:61時間5分

全経費:約8万5千円・・・但し熊本千歳間の往復航空運賃は除く

備考:当初から計画していた旅館泊は4泊、計画外で利用した旅館泊が4泊となりテント泊は6泊と少なかった

 
走行距離:892km
走行時間:61時間05分

ご苦労様でした。!

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