山口方面11日間の自転車旅

 

はじめに

自転車旅に最適の季節となる5月と9月にそれぞれ2週間程度の旅に出掛けるのが私の生活リズムの一つとなったようだ。62歳から始めたサイクリングに熱中し63歳からは自転車旅行へ出掛けるようになった。自転車旅行は荷物を極力少なくするため宿から宿へと移動していたのだが、69歳の秋に日本一周中の吉岡氏と10日間ほど行動を共にしてテント泊の旅を体験したのがきっかけとなりそれ以降はテント泊が主体の旅へと様相が変化していった。

今回は少々の雨なら宿へ避難するのではなくテントの中で雨を避け、食事はコンビニ弁当よりも食材を購入して自炊を優先させるとの覚悟で旅行を計画したのだったが果たしてどうなることやら。

事前準備として4月27日から2泊3日で南阿蘇方面へ5名で短期の旅を実施したのち、ここ2年程私の旅に常に同行してる谷さん、長期間の旅は初めてとなる持木さんとの3人で出掛けることになった。

 

 

第一日目:5月11日(火)小雨後晴れ:熊本〜久留米

 

出発時間9時なのだが昨夜からの雨が予報に反して早朝まで降り続き路面は濡れた状態だ、常連仲間の谷さんに出発を1時間延期しようと連絡すると彼から明日に延期しよ*うとの返答、今日の晴天を利用しない手はないと告げると準備があるので11時出発にして欲しいということで変更が決まった。

 

集合場所のユーパレス弁天へ向かって1015分我が家を出発し6km走行、30分後に到着、10分程待ってると谷さんと持木さんが揃って到着した。記念写真を撮り、持木さん・田上・谷さんの順で走り始める。これから何が起こるか不安な気持ちも混ざってるがやはり浮き浮きの気分だ。今回は食料品を沢山携行しているので荷物の総重量は20kgとこれまでの旅では一番重い。

 

熊本シニアサイクリングクラブ仲間で一番のグルメ通別府さん推薦のハンバーグが美味しいお店の一つ、山鹿熊入にある食堂で昼食をと空腹を我慢して自転車を漕ぎ続けてやっと到着、おやおや4月末日で閉店しましたとの張り紙が目に入った・・・がっくりする仕方がない・・・空腹を我慢して道の駅「鹿北」まで走ることになり、向かい風・大型トラックと悪条件の中をなんとか踏ん張って34km走行して1325分昼食休憩に、最初の食事だが迷うことなく食堂で食べることにした。

 

元気を回復し50分後に国道3号線を北上、次に休憩地点道の駅「たちばな」を目指した。道の駅に近づいた頃 後方からの大型トラックが我々を追い越すことが出来ずのろのろ運転していることに気づき路肩によって一時停止しようとしたさい、前輪左サイドバックが歩道の縁石部分に接触し、右側に転倒しそうになったが間一髪立て直すことが出来た。前輪のサイドバックは不慣れな間はこのようなことが生起しやすいので充分な注意が必要・・・一昨年の秋に島根・四国へ旅した時に次いでこれで2回目・・・今回は注意力散漫だった。

 

13km走行して15時道の駅「たちばな」に到着,10分程休憩、休憩中に道路補修作業員の方々から自転車旅行について色々質問を受けた。やはり団体での自転車旅行は目立つのだろう。国道3号線から右折し県道32号線を北上し久留米市街地手前で10分ほど休憩した後に高速道路脇の細い道を走り、高校生男女二人乗りの自転車に道順を尋ねたりして国道210号線に進出、「たちばな」から23km走行して道の駅「久留米に」1655*分に到着した。

 

宿泊に適するか否か早速見て回り今夜はここで泊まることにした。我々が見回ってる間にママチャリに僅かな荷物をのせたホームレス風情の男性が24時間開放の休憩室に入り早くもお酒を飲んでおり、話を交わすと前日は鹿北道の駅に、今夜はここで、明日は北の方向へ走るということだ、だとしたら旅人なのだが、うさんくさい表情とここらの人は冷たい等不満たらたら・・・こういう人との会話は楽しくないので避けることにして屋外にテントを張ることにした。携行してる食材は使用しないで物産館で夕・朝食の2食分の弁当を購入し第一日目の祝杯を仲間と交わし2030分に就寝とあいなった。

走行距離:76km、  走行時間:5時間30

 

 

第二日目:5月12(水)曇り後晴れ:久留米〜嘉麻(旧嘉穂)

 

何時ものように谷さんが最初に起き上がりガサガサゴソゴソ・・・次いで持木さん、最後に私が5時20分頃に起き上がった。朝方はやはり冷え込みが厳しく寝袋の中でジャンパーを着用した。テントをたたんだ後休憩室へ移動して朝食だ、休憩室では3名の男性が宿泊・・・その内の一人は魚釣り時の宿泊に道の駅をよく利用するとのこと、彼の言によると例のホームレス風情の方が真夜中にうるさいとかいって怒りだしたりそのくせ自分はなにやらぶつぶつと独り言を・・・余り眠れなかったとこぼしていた。

 

我々は最初の観光目的地の秋月を目指して7時45分道の駅を出発、大刀洗付近で地図判読を誤りやや遠回り、途中で15分程休憩、26km走行して9時50分秋月に到着した。観光地では威力を発揮する自転車だが我々は重量物を積載しているので軽々と走り回ることは出来ないがそれでも歩き回っている数名の観光客よりはましだと思って走り回った。平日の朝のせいか観光客は少なく活気に乏しが、福岡の小京都といわれる街並みを見て回ったところで私の自転車がブレーキをかけるとガガッと異音を発するようになった・・・旅に出発する前に行きつけの自転車店でブレーキシューを前後輪とも新品に交換したばかりだ・・・なにか異物がブレーキシューに刺さったのだろうと思い仲間の手助けを受けブレーキシューを取り外すと案の定小さな金属片が刺さっていた。約一時間秋月観光を楽しんで今日の宿泊予定地嘉麻にある道の駅「うすい」へ向かうことにした。

 

秋月から北九州へ向かう国道322号線で筑紫山地を越える八丁峠(標高550m)を登るのだが、標高から考えると訳なく克服できると甘く考えていたのだった・・・途中から3人とも自転車から降りてゆっくりゆっくりそれぞれのペースで峠目指すこととなった。楽しみの昼食は見晴らしの良い地点でと考えて押し進むのだが樹木に遮られ一向に視界が開けてこない・・・空腹に負けここらで昼食をと考えるのだが意見が一致しないまま1230分秋月から約10km進み峠に着いた・・・ここも視界が開けていない・・・5分程休憩したのち豪快な山下りで疲れも空腹も吹き飛んでしまった。8km下った芝原付近の集落で道路脇に小さいながらも格好の公園が出現・・・食堂はなくとも自炊を前提にしているのでこういう時は便利だ、1255分昼食休憩となった。お餅とソーセージをインスタントラーメンに加えたものが私の昼食だ・・・普段より当然長い昼食*休憩で14時に公園を後にした。

 

この後国道322号線から左折して宿泊予定地道の駅「うすい」へ向かって平坦路を淡々と約6km走行して1430分に到着した。時間は早いのでもう少し北九州へ向かって走ることは出来るのだが今日の走行はここまでとすることで意見が一致した。テントを張る場所は休憩場所となってる屋根付きのテラスが有力だが道路に面しており夜間の騒音、強風を考えると躊躇してしまう。道の駅傍に遠賀川が流れているので河川敷に適地があるかもしれな*いと3人で偵察に出掛けた結果、交通の騒音が気にならない立派な作りの橋の下はテーブルと椅子の設備がある休憩場所となっておりそこにテントを張ることに、強風のため一人では困難なので3人で協力し1610分完了した。

 

道の駅の物産館では17時から弁当類が半額になるとの谷さんからの情報で時間を見計らって買い物に出掛け、夕・朝食の弁当類を購入、お寿司は残念ながら半額にはしてくれなかったけれど、1730分から橋の下で楽しい晩餐会!明日の走行ルートは国道322号線へ戻り田川・香春経由で小倉へ行く計画だったが、谷さんから遠賀川沿いに芦屋へ出て小倉へ向かうルートの推奨が有り、飯塚から芦屋へサイクリングロードもあるということで急遽ルートを変更することにした。心配なのはこのルートに沿う地域の地図を私が準備してないのだが、救いは以前吉岡氏に追随して門司から芦屋まで走ったことがあると云うことと、芦屋までは遠賀川沿いを走ればよいと云うことだった。晩餐会も1時間後にはお開きとなり1830分早くもテントに潜り込み就寝となった。

走行距離:51km、  走行時間:4時間25

 

 

第三日目:5月13(木)晴れ:嘉麻〜下関

 

520分起床、昨夜は若者が川原に降りてきて少し騒いでいたようだったしその上寒さのため夜中に何度も目を覚まし、明け方は防寒具レグウオーマーを取り出して着用するほどだった。起床後テントを撤収し、朝食を済ませてから道の駅へ移動して洗面・トイレ等を済ませ、今日は芦屋付近の公園で泊まり入浴とコインランドリーで洗濯をすることをとりあえずの目的として7時55分遠賀川に沿って走り始めた。

 

走り始めると無風で堤防上の交通が少ない細い道が続き昨日とは打って変わって快調な走りとなった。12km走行した8時40分には飯塚でサイクリングロードに入り15分休憩、サイクリングロードは最近手入れされたようで走りやすい道となっておりウオーキング中の高齢者と多数すれ違った・・・でも残念ながら挨拶の声を掛けてもほとんどの人が無視して黙々と歩くだけという状態に大都会ならいざ知らず筑豊地域でもそうなのかと寂しい気持ちにさせられた。14km走行した9時40分には谷さんの出身地という直方の中心地にある河川敷の立派な公園で10分休憩、その後サイクリングロードは未整備となり一般道を10km程走って中間市役所前に1045分頃着き、谷さんが市役所に寄って観光案内地図を入手してきた。この地図に従って再び遠賀川河川敷内のサイクリングロードを向かい風に悩ませられながら、でも平坦地に助けられ約10km走行して芦屋に入り1140分頃江川河川公園で昼食休憩にした。各々が火を使って暖かい食事を・・・私はうどんにソーセージと高野豆腐を加えそれなりに栄養価のある?食事を作った。

 

食事休憩中にロードレーサーに乗ってる人と会話を交わす・・・KSCの別府さんのように今はガンガン走ることが楽しいようで色々なサイクリングイベントに参加されてる様子、もう少し加齢したら我々のような自転車旅が夢ですと語っていた。今朝方はとりあえず芦屋までということで走ってきたのだが快調な走りで疲れも少なく、その上夕方までにはたっぷり時間も残っているので彼に教えて貰ったルートに従って芦屋を抜け小倉か下関を目指すことになり1250分走りを再開した。多少の登り下りは当然出現したが、20kmを1時間10分で走り若戸大橋袂の渡船場に到着した。10分後には150円払って渡船に乗り込み対岸の戸畑に直ぐに着岸した。小倉のフェリー乗り場日明港までは大型トラックや立体交差に悩まされながら7km走行して1455分到着した。300円を払って1520分発のフェリーに乗り込み15分後下関の彦島に着岸した。

 

小倉から下関まで自走するよりこの安全・時間節約の面からフェリー利用が断然有利だと痛感した。さてこれから今夜の宿泊場所を探さなければならない・・・地図上で予め目星を付けていた公園が数カ所、まず老の山公園に向かうことにしたが谷さんからスーパーに寄り道して食材を購入したいとの申し出に従って彦島の中心地へ走りスーパーで買い物を済ませ、老の山公園への標識に従って進むことが出来たが途中から急な登り坂となり、自転車から降りて押し歩きとなった。公園入り口の駐車場で親切な管理人?らしき人が公園内の展望の良い場所への遊歩道の道順を教えてくれた。

 

1630分頃には展望がよく、トイレ・水飲み場の近くにテントを張る適地を見いだしたが、谷さんが更に公園の奥の方まで偵察に出掛け子供向けの遊具が設置されてる場所がありそこの方が良いとの報に従い移動すると真新しい遊園地がありトイレも新しく、その上板張りの展望所がありテントを張る絶好の場所だった。宿泊場所が決まり本日の走行は終了し、1740分頃にテント張り終えると、次はトイレの洗面所で*身体を拭き衣類を水洗いしてから夕食の準備だ・・・衣類の洗濯をこのように機会を見いだして軽易に水洗いをしたり、寝袋を日干しするなど谷さんの率先垂範に見習うことが非常に多い・・・遊具で遊ぶ親子の姿も活気を醸しだしとても良い雰囲気の公園に感謝しつつ、1840分頃から豪華な晩餐会の時を迎えることが出来た。私の夕食は水餃子がメインデッシュ、中華スープに餃子ともやしを加えて野菜も体内に取り入れた。展望所からの眺めは素晴らしく水平線に沈む夕日を期待したがその直前には雲がかかり残念な結果となった・・・食後は夜景を楽しみつつ就寝は22時近くとなった。

走行距離:77km、  走行時間:5時間30

 

 

第四日目:5月14(金)晴れ:下関〜角島大橋

 

5時15分起床、夜中から明け方にかけて冷え込みが厳しく、昨日に続いて僅かな防寒衣類を着用してしのいだ。公園は早朝からウオーキングに励む高齢者が行き来するが挨*拶を交わすだけ・・・テントを乾かしつつ朝食をパンと牛乳で済ませ出発準備に取りかかる、昨夕水洗いした衣類は乾ききらずバックにくくりつけ8時15分出発となった。

 

 平成17年秋下関から松江まで走った時は191号線を萩へとまっしぐらに走っただけ、今回は時間をかけゆっくり見て回るつもりで計画したのだったが・・・山陰を走るルートは道路が狭く登り下りの連続で楽しいという走行環境ではなかったという強烈な記憶がある。今日の予定は国道191号線から県道275号線を走り途中で温泉を楽しみ角島大橋を渡りキャンプ場で宿泊する計画だ。走り始めると朝の通勤ラッシュとも重なり交通量が多く神経が疲れる走行となった、郊外へ出ると交通量は低下してきたがアップダウンの連続に早くも疲れ気味で時速も1213km程度で、1010分頃豊浦で出現した大型店で30分間も休憩した。

 

老の山公園から約40km走行した長門二見付近で道路脇に食堂が出現し迷うことなく昼食休憩とした、食堂は漁師夫妻が営んでおり海産物がメインの日替わり定食を注文、来店中のお客や女将さんとの会話で楽しい休憩、我が家を出発以来のテレビの天気予報を見ると晴れは後二日間、月曜日からは梅雨の走りとなり4日間連続の曇り時々雨との予報にビックリ・・・雨で右往左往はしないとの決意で出発したものの4日間連続となると今後の走行計画について色々と考えなければならないがとりあえず明日・明後日の晴れを大切にすることにした。

 

13時5分食堂を出て走りを再開、土井が浜付近で傾斜のきつい登り坂が出現し3人とも自転車を降りて押し進んだところ、峠の頂上には標高44mとの表示に唖然となった・*・・筑紫山地で苦しんだ八丁峠も標高は550mと甘く見ていたのだった。昼食後約10km走行した14時頃のスーパーで食材を購入し、約4km走行して1440分角島大橋近くにある西長門リゾートホテルへ到着、角島大橋が見える絶景の露天風呂に利用料金千円で入浴、旅に出発して最初の入浴は疲れた身体を癒すには絶好の機会だった。

1時間半後ホテルの前で記念写真を撮っているとカウンターの若い女性がタイミング良く玄関前に出てきたので、谷さんがキャンプ適地の情報を早速入手してくれた。入浴後の今となっては角島西端のキャンプ予定地まで走る気になれず近場の公園等で宿泊適地を探そうと話し合っていたときだったので値千金の情報となった。

 

* ホテルから約1km離れた赤田海水浴場でシャワー室は閉鎖されていたがトイレ・水は利用出来る状態だったので1620分頃ここでテントを張ることに、まずテント展帳、次いで手もみで衣類を洗濯 、最後に夕食の準備・・・鯖缶の味噌煮込み(鯖缶・ジャガイモ・もやし・インスタント味噌)を作り素晴らしい日没を眺めつつ野宿の醍醐味満喫の晩餐会となった。

 

さて気になる天気予報に基づき今後の予定は、谷さんが熱望している山口市内の瑠璃光寺の五重塔見物までは晴天の内に走ることにして明日に予定していた油谷から油谷島・川尻岬・千畳敷への走行は取りやめ、国道191号線をそのまま走り明後日と予定していた長門から青海島へ走り一日分短縮することにした。その後4日間雨?の場合その降雨状況によってはキャンプ場或いはユースホステルで休養するようにしたいと伝えると谷さんはその様な場合は輪行で帰熊したいとの発言で意見が分かれたが取り敢えず今後の天気予報に注目し山口までは走ることになった。

 

1930分テントに入り就寝となったが20時頃熊本の東(かいさん)さんから2分後に宇宙船の飛行が見えるとの情報が届き宇宙船の光を短時間ながら私は初めて見ることが出来た。その後谷さんから星座の説明を受けロマンチックな気分に浸りつつ再びテントへ入った。

走行距離:54km、  走行時間:4時間20

 

 

第五日目:5月15(土)晴れ:角島大橋〜青海島

 

5時35分起床、昨夜も朝方冷え込みが厳しく防寒衣料を着込む・・・寝袋を夏用ではなく収納時かさばるけど零度付近でも安眠できるような物を準備すべきと思うようになってきた。何時もの手順でテントを撤収し朝食はパンと牛乳で済ませ、途中をカットして青海島に向かうことを再確認しタイヤの空気圧を点検・補充してから8時赤田海水浴場を出発した。

 

10分後角島大橋公園に到着、大橋だけでも走ろうかと呼びかけるが反応なし、記念写真後には日射しが強くなったのでジャンバー等を脱ぎ走りを再開、下り坂を楽しみ島戸浦漁港に着いたところで持木さんが角島大橋公園に忘れ物をしたことに気づき引き返すことに、その間我々は心配しつつもあの急坂を一緒に登る気力はなく休憩、当事者は必死の思いで急坂を登っていき程なく忘れ物を無事手に出来て笑顔で戻ってきた。お互いこのようなことを起こすことはあり得るので休憩後の出発時は忘れ物ないか確認しあおうと話し合って8時35分走りを再開した。

 

20分後には国道191号線に戻ったが相変わらずの登り下りの連続おまけに向かい風ということでアップアップの走行を続け途中道路脇で10分ほど休憩を入れ、赤田海水浴場から30km走行した1120分頃JR長門駅前に到着した。谷さんが愛用してきた固形燃料での自炊は効率が悪いので持木さんと同じタイプのガスボンベストーブを購入したいというのでスポーツ用品店を探すが専門店はないとのこと山口市内で求めることに、次はスーパーで食料品を購入、昼食を自炊するため公園を探し求めつつ市街地を散策していると仙崎漁港市場に面したところに食堂が出現したので自炊を取りやめ食堂に入ることで意見が一致、店内は狭いがほぼ満席の客で賑わっており刺身定食とイカ焼きを食べた・・・大賑わいに納得できる味・量・値段だった。

 

50分後の1340分走りを再開、青海大橋を直ぐに渡り青海湖と波の橋立を観光した後青海島キャンプ村を目指した。島内は予想通り登り・下りが出現し自転車を押して登る場面もあったが、やがてキャンプ村入口の看板が目に入り、その脇にお土産店があり*道順を聞くと100mも行くと海岸に出てそこに管理事務所があるとのことだ、なおそのお店の旦那が面白い人で話し好き・芸達者でお土産品を購入してくれたら芸を披露するからと、肥後の独楽回しや自転車の後ろ乗り等を他のお客に披露しているところを我々も一緒に見せて貰った。

 

1450分キャンプ村に到着し利用料一人500円を払って利用上の注意事項や観光名所の奇岩を見て回る遊歩道の説明を受けた後遊歩道散策に出掛けた。団体の観光客も訪れておりそれなりの賑わいを呈してる、その上キャンプ村と併設してダイビング教室も開かれておりダイバーの姿も*・・・、キャンプ村は我々3人だけの利用で、炊事場にはガスコンロも準備されており素晴らしい環境を独占利用となりルンルン気分でテント展帳・手もみでの洗濯・夕食の準備(私の夕食は水餃子にジャガイモ・もやしを加え野菜たっぷり)、夕日が沈む日本海を眺めつつこれまでの内で最高の気分で晩餐会の時間を*過ごすことが出来た。海岸には夕日を見ようと数組の観光客も訪れ、なかには一人だけの若い女性も・・・谷さんが会話を交わすとやはり訳ありで亡くなった彼氏との思い出の場所とか・・・今日も綺麗な星空を眺めて20時にはテントへ潜り込み就寝となった。

走行距離:52km、  走行時間:5時間5分

 

 

第六日目:5月16(日)晴れ:青海島〜秋吉台

 

5時30分起床、やはり早朝は冷え込んだためテントを撤収する代わりに日当たりの良い場所に広げて乾かすことに、朝食はパンともやしを加えたインスタント味噌汁とした。食後片付けをしていると管理人のおばさんが好意でゴミの回収にきてくれた・・・昨日の受付の段階ではゴミはお持ち帰り下さいとのことだったので特別にお願いして受付事務所の前に置いていくことを了承していただいたのだったが・・・このような好意が大変嬉しく感じた。

 

8時30分キャンプ村を出発、直ぐに自転車を押して坂を上り青海島大橋を駆け下り国道191号線に出て萩方面へと向かい一時間後三隈付近で10分ほど休憩、バイパスが新しく出来ており自転車・歩行者通行禁止とあり近くのコンビニで秋吉台方面への道順を尋ねて走りを再開した。教えられたとおりの交差点で右折・・・県道の番号が私の計画したルートとは異なっており老眼鏡をかけて地図をよく見ると後3km程萩方面へ走った後右折することが判り引き返すことにした。サングラスをかけたまま地図を見ても文字が小さく判読できない・・・昨年か一昨年までは明るい太陽光の下では地図が読めたのに加齢に伴う悲しい現実だ。

 

10時頃には191号線から県道28号線へと右折、登り坂がだんだんと厳しくなり途中休憩を入れ、11時頃標高277mの中山峠で10分休憩、これまで苦しんだことへのご褒美の下り坂を6km程堪能したところでカルストロード(県道32号線)への分岐点へさしかかると小さな公園が出現し休憩となった。キャンプ地からここまで約30km、この公園には水道・トイレはないけどベンチがあり木陰もあったのでここで昼食を摂ることにした。

 

谷さんは炊事用の水がないからと近くの商店へもらい水、私はうどんにソーセージ・高野豆腐を加えて作った・・・このような状況下で自分で作り食べるものなら何でも美味しいですよ!一時間後の1230分に走りを再開し、直ぐに秋吉サファリランド入口が出現したが寄り道を希望する者無し・・・その後登りでは押して進む状況が多くなってきたがカルスト台地の景観をゆっくり眺めることが出来たのでこれも良しと思うことにした。このカルストロードには山口国体(平成23年開催)自転車ロード競技のコースとの旗が沢山立ち、マイカーへの協力を呼びかけている準備の良さに感心した。

 

11kmを1時間20分かけて走ったところで秋吉台展望所へ着いた。谷さんは夕・朝食の食材を求めて売店内を探すがお土産ばかりで入手出来ない、予定のキャンプ場はこの近くにあるものの食材を求めて市街地へ出るには登り下りの道を後3km程走らなければならい、取り敢えずキャンプ場まで走ることにした。30分後キャンプ場へ向かって展望所を出発、激坂を下りその後激坂を登って2kmの道を15分かかって1435分に秋吉台家族旅行村へ到着した。

 

管理事務所で利用料600円を払い注意事項等の説明を受けた。食材のことを尋ねると食堂が15時まで営業してるのでおにぎりならあるでしょうとのこと、急いで食堂棟へ行くと入口は閉鎖されており人の気配はない・・・早々と閉めてしまったのだろうか?・・・持木さんが裏手へ回り勝手口らしきところを開けて声をかけるとおばさんが現れて正面入口を開けてくれ店内へ入ることが出来たのだが、おにぎりは3個分しかご飯が残ってないという、我々は遠慮して谷さんへ譲ることにした・・・彼は3個あれば明朝まで大丈夫というので安心した。

おにぎりの次はビールだ、3人とも缶ビールを求めて店内でまずグイッ、グイッと・・・2本目を購入する頃にはおばさんは我々がキャンプすることを知り、それならこれからご飯を炊くから夕方で良ければおにぎりを作りますとの申し出に持木さんと私はそ*れぞれ2個注文した、肝心の谷さんは先ほどの3個で充分とのことだった、谷さんは更に氷を貰い缶ビールを夕食の時間まで保冷出来るようにした(このような保冷処置等・・・谷さんの生活力には見習うことが多い)。ビールと食材の見通しが出来たことで安心と満足感で食堂を出てテントサイトへ移動、テントを張り、衣類の洗濯を済ませ管理棟のシャワー室へ(10分間100円)、管理棟の職員さんから明日以降の天気予報を入手すると、この晴天は明日までは続き、その後は梅雨の走りで数日間にわたり曇り時々雨になるでしょうとのことだった。千円の入浴も嬉しかったが、百円のシャワーもこれまたさわやかな気分になれた。設備の整った公営キャンプ場はこのような旅にとって本当に有難い施設だ。

さわやかな気分になったところで炊事場で夕食の準備(鯖缶の味噌煮込み:鯖缶・ジャガイモ・もやし・インスタント味噌)、テーブル等が近くにないので炊事場でそのまま食べることになり、食事と団らんの時間・・・天気予報のことを伝え明日以降の行動について説明・・・山口市内では瑠璃光寺見物・谷さんのスポーツ用品店での買い物を済ませたら天気の変化に注意しながら宿泊場所を早めに決めて行動しよう・・・山口市内のYH、道の駅「きららあじす」、宇部のキャンプ場あたりが考えられると・・・20時過ぎにはテントへ潜り込み私は明日以降の行動について詳細に検討すると共に、山口市内在住の友人に電話を入れ、瑠璃光寺での再会時間を確認すると共に、スポーツ用品店の所在地、週間天気予報の情報を依頼して21時過ぎに就寝となった。

走行距離:42km、  走行時間:4時間

第七日目:5月17(月)晴れ:秋吉台〜宇部ときわ公園キャンプ場

 

5時25分起床、朝方やはり冷え込んだがここ数日のうちではしのぎやすい方だった。テントを乾しつつ、朝食におにぎり2個とインスタント味噌汁を食べてから出発準備を整え8時5分に出発となった。

 

山口への道は昨夜友人から聞いていた基本的には下りで厳しい登りは一カ所だけだという言葉とは異なり自転車にとっては結構登りと下りが連続する厳しいもので、車で走る感覚と自転車とでは登りに対する受け止めが違うのは当然のことだと改めて痛感させられた。国道435号線で最後の峠となる鳳凰山トンネルを走る頃は彼との約束時間を15分も超過していたが慌てて事故を起こすより安全第一と考えつつもかなりのハイスピードで峠を下り国道9号線へ出て東進し友人を50分も待たせた1020分秋吉台から約30km走行して谷さんが昨年から待ち望んでいた瑠璃光寺の五重塔と面会が出来たのだった。

 

 彼の案内で五重塔で記念写真を撮り、次いで県庁最上階の展望室から山口市内を展望し、ついでに展望室の一角にある食堂で昼食を摂ることとなり、私の意に反して我々は彼からハンバーグ定食をご馳走になる始末、有り難うございました。次はスポーツ用品店へ向かうことになり友人がママチャリで軽快に歩道をすいすいと走る姿にビックリ・・・ジムで鍛えているとの年賀状の証だった。遠回りとなる場所だが熊本でもお馴染みのスポーツ用品店の看板が見えてきて安心、谷さんは下関から望んでいたガスボンベストーブをやっと入手出来て安心した様子、友人は国道9号線との交差点まで我々を誘導してくれて1230分に再会を約して別れた。

 

我々3人は国道9号線・県道212号線を走り道の駅「きららあじす」へと向かった。途中県道212号線が高架橋となる箇所で道に迷ったが「3人寄れば文殊の知恵」の諺通り、無事県道212号線へ戻り14時頃道の駅に到着した。山口市内からは平坦路の部分が多くなり、交通量を度外視すれば嬉しい23kmの走行だった。道の駅で友人からの差し入れの山口銘菓と谷さん差し入れの巻き寿司でお腹を満たし、宇部のキャンプ場を目指して国道190号線を走ることになり35分休憩の後1440分出発となった。

 

約9km走行した1510分頃宇部市街地近くのスーパーへ寄り道し食材を購入することになった。スーパーで駐輪する際中学生が話しかけてきて「自転車部に所属しており将来は競輪選手になりたい」と熱い夢を語ってくれた、その直後母親?知人?があの子から積極的に話しかけていくとは珍しい・・・あなた方の自転車姿を見て話がしたくなったのでしょうねと、自転車談義でその女性と会話が弾んだ。やっと店内へ入り買い物を済ませ25分後にスーパーを離れ「ときわ公園」の標識にしたがって国道190号線から右折したとき我々のようなヘルメットを着用しママチャリに乗った数名の高校生とすれ違いざまに「ヘルメット着用とは感心だね」と声をかけると「自転車部ですから」との返答、すかさず谷さんが会話を引き取り彼らにときわ公園まで先導して貰うことに、細い裏道を走って公園駐車場に着き、有り難うの言葉で別れた。

 

公園の案内図看板を見ると、現在地は公園南の遊園地入口、キャンプ場は常盤湖の北部に、管理棟は公園の東側にあることが判った。公園内は自転車乗り入れ禁止とあるので一般路を遠回りして管理棟へ走り1610分やっと探し当てキャンプ利用を申し込むと管理棟にいた職員は「キャンプ利用申し込みはここでは受付できません。観光協会の方がいる遊園地近くの事務所へ行って下さい」と・・・電話で申し込みは出来ないか、疲れており今来た道を引き返す元気はもうないと告げると嬉しいことにその職員が車で連れて行ってくれることになった。私は満面の笑顔で「助かります・有り難うございます」の言葉で車に乗り込み手続きへ向かった。利用申込書に記入して終わり・・・料金は?との問いに「無料ですよ」・・・本来は事前に申込書を提出して貰い役所の印鑑が必要ですが今夜一晩だけの利用ですから明日役所に持って行きます、今日の利用はあなた方3名だけですからテントサイトは何処でも好きなところを使って下さいと暖かい言葉が戻ってきたのだった。先ほどの車に乗るとその職員はせっかくの機会ですからと遊園地内を走り抜け仲間が待つている管理棟へと私を運んでくれたのだった。車中で近場の入浴施設の在りかを問うたところ事務所に戻ってから利用時間・料金・道順まで丁寧に説*明してくれた・・・役所職員の対応とは思えないほど親切だった。

 

お礼の言葉を述べて我々は公園内の遊歩道を広い道のところでは自転車に跨ってゆっくりと走り17時頃キャンプ場に着いた。先日利用した有料のキャンプ場よりも設備は当然落ちるが公園や道の駅での宿泊に比べると断然恵まれた施設だ、炊事場に屋根は無いが水道蛇口が沢山あり竈の設備もあり、当然トイレも近くにある・・・これで無料とは嬉しい限りだ・・・何時ものようにテントを張り、谷さんと持木さんは衣類の洗濯、夕食の準備、入浴は不要という声が大きく見送りに、最後に湖畔の階段状の休憩所で晩餐会、私の夕食は定番となりつつある水餃子(豆腐・もやしを加える)にした。

 

雲行きが何となく怪しい、明日の天気予報は風が強く昼前から雨となっている・・・さあどうするか?私の当面する最大の関心事だ・・・取りうる行動案についA案:ここのキャンプ場に数日滞在、激しい雨になれば近くの湖畔にあるYHへ移動する。B案:当初からYHで数日滞在する。C案:下関まで走る。という3案を夕食の最中に提示するも仲間からの反応は鈍く明朝の天気をみてから決めることになった。谷さんから「雨の中の走行は危険だから絶対走りたくない」、更に「ここに数日滞在するなら別に考えることがある」と意味深な発言があった。21時テントに入り22時過ぎに就寝となった。

走行距離:76km、  走行時間:4時間45

 

 

第八日目:518(火)晴れ後小雨:宇部〜下関

 

5時20分起床、気になる天気は???雲の流れは怪しいが日が射している・・・湖畔で朝食(パンと牛乳)を摂りつつ今日の行動について相談した結果取り敢えず下関目指して走ることとなった。決まれば早速テント撤収し出発準備にとりかかる。キャンプ場を7時50分に出発し、国道190号線へ出て下関へ、交通量は多いが嬉しいことに強い追い風を受けての走行だ、20km走行した9時10分頃小野田市街地入口で10分休憩、日射しは消えて雲がだんだん厚くなってきたが雨は未だというなか18kmを1時間で走って小月市街地で10分休憩、雨の前に下関へとの気持ちで走り1150分頃17km走行して下関関門海峡の人道トンネル入口横の公園に到着した。

 

谷さんはこのまま九州へ走り雨になればそこからJRでの輪行に切り替え直方の姉宅(母宅?)か熊本へ向かうとの意志表示をされ、持木さんは私同様輪行に移行することなく下関のYHで雨を避け自転車旅を続けることになった。

*

3人での旅の最後がこの公園での昼食(私はうどんにソーセージと高野豆腐を加えた物)となり気分はよくない、私は谷さんにこれで敵前逃亡・前科2犯(初回は20年秋尾道で台風接近に伴いJRで輪行帰熊)だよと告げた。昼食を準備してるとき公園の清掃にあらわれたおばさんに挨拶したが無視された・・・昼食を終えゴミを片付けてビニール袋を自転車に縛りつけていると清掃のおばさんが再び現れ「ゴミはこの袋に入れても構いませんよ、空き缶はここにおいて下さい後ほど片付けます」と先ほどの態度とは全く逆の対応だ・・・おばさんが言うには「この公園でお弁当をひろげる方は大勢いますが殆どの方はゴミを放置されたままなのです」と。ゴミの件で気分良くなった我々は谷さんに見送られ1255分YHへ向かった。

 

YHに荷物を置き身軽になった自転車で持木さんと下関探索へ出掛けた、昼食を摂った公園近くで信号待ちをしている時に観光客の高齢の夫妻と挨拶を交わすと「先程お会いしましたよね?確か3人だったとおもいますが・・・」と「えーそうです、一人は天候が悪くなるからと旅を中断したので2人で旅を続けてます」・・・雨が時々ポツリポツリと風も強くその上なんだか肌寒い、唐戸市場等を観光したのち郵便局で預金を引き出し、スーパーで食品を購入して1510分にはYHへ戻った。予約の電話を入れたとき16時まで不在と聞かされていたのでベランダで関門海峡を行き来する船舶や関門橋を眺めつつ熱いお茶を入れ甘い物を食べるという珍しい時間を過ごした。

 

16時になり玄関が開き受付(素泊まり:3200円)を済ませ早速部屋へ、直ぐに入浴・・・冷えた身体には有難いお風呂だ、次はこの旅で最初の洗濯機・乾燥機を利用する洗濯だから2度に分けて衣類はすべて(2組しかないけど)洗濯した。ここのYHではベランダの一角に自炊出来るように設備が整い、冷蔵庫も利用できるので安心して夕食の準備に取りかかる、風雨も激しくなってきたので食堂へ移動して缶ビールで乾杯、鰹のたたき、タマネギのサラダ?で夕食を摂った。宿泊客は我々二人だけで交流室を独占して新聞を読み、パソコンのインターネットで週間天気予報を入念に調べた。風呂に再び入り、ベットからテレビを見つつ22時近くに就寝となった。

走行距離:64km、  走行時間:5時間45

 

 

第九日目:519(水)雨後曇り:休息日

 

6時50分起床、ぐっすり眠りさわやかな目覚め、野宿生活からこのような宿で休むとその有り難さが痛感できる。衣食住に満ち足りた生活から非日常の野宿生活に身を置くこともたまには大事なことだと思う。朝食にはパンと牛乳以外にタマネギともやしで油*炒めを作った。受付で連泊の手続きを取ったが昼間(10時から16時)はYHに滞在することは出来ないとの原則的な対応だ・・・雨で自転車で出掛けられないという事情は理解でき気の毒に思いますが団体客を相手にするときは昼間一時間600円を頂いておりますからお二人では高いものにつきますよ・・・ベランダで過ごすことは見ないふりしてくれるということで決着、10時必要な荷物だけを持ってベランダへ移りぼんやりと休養の時間となった。雨が小止みとなった時期に持木さんは火の山公園の探索に、私は自転車の手入れ(清掃と空気圧点検・補充等)を実施した。

 

昼食にはソーセージ・タマネギ・もやしで油炒めを、夕食には水餃子を作った。今日も宿泊客は我々だけ、昨日同様交流室を独占し新聞・テレビ・パソコンで情報入手、天気は明日20日と明後日の22日の2日間は晴れ、3日目の22日は曇り後雨でその後2日間程は雨が続くとのことだ。今後の旅について持木さんと相談、1案は国道3号線を2122日の2日間で走り帰宅する。2案はほぼ計画通りで20日は耶馬溪まで、21日は耶馬溪から小国又は阿蘇周辺へ、22日は雨になっても我が家に向かうのだから濡れても我慢が出来るであろう。結果は第2案で走ることになり2145分就寝となった。

 

 

第十日目:5月20(木)晴れ一時小雨:下関〜耶馬溪

 

*5時50分起床、早速出発準備に取りかかり、朝食は定番となったパンと牛乳ですませた。下関YHでは恒例となってる自転車での宿泊者に対して激励の意味がこもったおにぎりを貰い7時50分に出発した。

 

海底の人道トンネルを通り門司港へ出て県道25号線へ入るのに少し右往左往したがまあ順調に前進、当初はアップダウンも出現したが14km過ぎた頃から追い風を受けるようになり道も平坦路交通量が多いなかを順調に走り続け曽根付近で10分休憩を取り、国道10号線へ入り下関から36km走行した1130分頃道の駅「おこしかけ」に到着し昼食休憩とした。

 

熊本までの目鼻もついたので携行してる食料を消費して積荷を軽くする意味あいを込めて自炊(ラーメンに餅・ソーセージ・高野豆腐を加えた)、食事をしていると観光バスで大勢の中学生がやってきて添乗員や引率の先生の指示をうけて休憩広場のテーブルを利用して各自が携行してきたお弁当を食べ始めた・・・サンドイッチや菓子パン、コンビニ弁当等色々である。大阪から修学旅行で大分へ向かうとのこと、昼食の弁当がどうしてバラバラなのか理解に苦しんだ・・・中学生は友人との会話に熱心で私のの問いに反応は鈍かった。

 

1時間10分後の1240分走りを再開引き続き国道10号線を走り、20分後道の駅「新吉富」で休憩、タイミング良く?小雨が降り始めたのでそのまま雨宿り、休憩室には新聞朝刊が4種類も置いてあり退屈はしない、物産館で食材(野菜)を購入し1時間10分後に出発した。

 

まもなく県道16号線へ右折し登り坂が出現すると予想したが平坦で車も少なく走りやすいルートで14km走行した15時頃宿泊適地がある「青の洞門」に到着した。記念写真を撮ってから土産店でキャンプ場への道順を尋ねたところ、ライダーハウスの利用も検討して欲しいと云われた。まずキャンプ場へ・・・民営ゆえ施設が今一歩で利用したいとの気分になれない、次いで道の駅「耶馬トピア」へ行ってみると、本日は定休日との看板が掲げてある・・・人の出入りが少ないから宿泊には好都合だと思ってテント展帳場所を探し回るも雨上がりで木立の中は湿っぽくて気乗りがしない。未体験のライダーハウス利用にいくらか魅力を感じたが平成20年秋に谷さんと宿泊したことがある道の駅「やまくに」に惹かれる・・・この場合は深耶馬溪方面へ走る計画は断念、国道212号線から日田方面へ走ることになり、明日夕には帰宅できるという利点も生じる・・・持木さんに相談して道の駅「やまくに」を目指して走り続けることにした。

 

*1555分道の駅「耶馬トピア」を出発、約20km走行して1720分道の駅「やまくに」に着いた。休憩室は以前と同様タタミ1枚が敷いてあるベット?が縦に二つ並んでいる・・・先客はなく我々は荷物を置いて先有権をそれとなく主張してから物産館へ・・・弁当類が半額となってる、でも購入は控え、手持ちの食材で夕食を・・・おはぎと缶ビールを求め持木さんと先ずは乾杯、ホウレン草を湯がき、ミニトマトとソーセージで焼酎のつまみとし、夕食にはスパゲティー、食後に隣接した温泉(入浴料300円)に入り2130分就寝、休憩室は夜間になると人の出入りも殆ど無く安眠出来る環境にたった。

走行距離:93km、  走行時間:6時間20

 

 

第十一日目:521()晴れ:耶馬溪〜熊本

 

*5時45分起床、テント撤収の必要がないので出発準備も簡単に終了、朝食にパンとおはぎを食べ7時15分には出発となった。今日のルートでは峠が二つ、先ずは約8kmを一時間かかって大石峠トンネルを通過、一部では工事中のため片側通行規制の下り坂を快調に走り約12kmで日田に8時55分着、古い街並みの豆田界隈を散策して日田市街地を通過、11km走行して道の駅「おおやま」に9時50分到着休憩にした。

 

ここで熊本から広島へ向かわれている我々と同年代の御夫妻(道の駅を利用する車中泊の旅行を趣味とされ、秋には3ヶ月程の予定で北海道を予定されている)から色々質問を受けた・・・自転車で旅をされている方々をよく見かけるけど歩道を走る方は少なく殆どの方が車道を走られいるのは何故か・・・ということが関心事のようだったので、私の考えを丁寧に説明して納得していただいた。

*

 20分後走りを再開、国道212号線を南下、アップダウンが続く松原ダム湖・下筌ダム湖の左岸を走り次いで国道387号線を南下し約21km走行して1215分道の駅「かみつえ」に着き昼食休憩とした。ここの食堂では「混ぜご飯」*が美味しくお代わりしたことを思い出して自炊ではなく食堂で「だご汁定食大盛り」を食べた。肝心の「混ぜご飯」の味は前回とは異なっており残念だった。

1320分走りを再開、最後の峠「兵戸峠」を目指すが登りが厳しく自転車を押して歩く場面が多く約10kmを1時間30分かかって峠のトンネルを通過し、気分的にはもう熊本に帰り着いた気持ちになり、8kmを15分で駆け下って15時5分菊池水の駅で休憩。休憩中にこの後のルートについて持木さんから提案で、厳しい登りが少しはあるものの最短?となる県道329号線(逆方向からは何度も走ったことが有る)で旭志へ向かうことになった。

*15分後に出発、トンネルを通過すると直ぐに厳しい登り・・・自転車を押して進む・・・これを克服すると後は快調な下り坂が続くのだった・・・逆方向から走ってるときは緩やかな登りと思っていたのに同じ道でも反対方向から走ると全く別のルートとなると云うことを痛感、旭志からは走り慣れた道で菊陽の杉並木公園へ28km走行して1710分に到着し旅が無事完了した。持木さんと完走を祝して記念写真を撮り解散!!、ここから6km走って1740分我が家に到着した。

走行距離:104km、  走行時間:7時間55

 

 

おわりに

今回の旅にはテント泊を主体にして少々の雨ならテントの中へ避難しよう、食事は主に自炊をとの考えで長期間の自転車旅へ3人で出掛けたのだが、その結果10泊の間にテント泊:7回(キャンプ場3回、公園2回、道の駅2回)、宿:2回、道の駅の休憩室:1回でテント泊主体の狙いとしては妥当だったと思う反面、雨の中のテント泊は未体験でこれまで通り宿へ避難する結果となったのが心残りである。

 

食事の方では朝・夕食はすべて食材を使用して自炊、昼食時の自炊は6回で食堂利用は5回、今後の旅でも自炊を主体とすることに不安は消えたと思う。

 

最後に3人でスタートした旅だが・・・若者が自転車で世界一周中に同じ日本人若者と出会いしばらく一緒に走っていてもその内に別れて走ることになると多くの旅行記で記述されている。ましてや高齢者だとそれぞれに固まっているからなおさらだろう・・・同行者が初心者で不安感から全面的に寄りかかってる場合は問題は生じないが、経験を積み単独旅行への自信が付いてくると親離れの時期が近づいた証、親離れ・子離れも避けては通れないことだろう。

旅が順調に進んでる場合は問題発生しても解決が容易だが、困難な或いは苦しい状況ではその本性が出ると云われている・・・そのとおりだと思う。今回も前回も予想される悪天候への対応の仕方だった。

 

総走行距離:688km 総走行時間:47時間50分 経費:約2万3千円



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