南九州縦断・種子島及屋久島一周サイクリングの旅


平成17年5月24日(火曜日)【晴】

1日目:輪行にてJR熊本駅〜鳥栖〜夜行列車「あかつき

走行距離:0km 走行時間:0時間00分

午後6時タクシーで我が家を出発し、JR熊本駅に午後7時20分到着。
JR武蔵塚駅から熊本駅着20時3分で来る田上さんを待合室で待つことにする。
が、どうやら田上さんも列車を一つ早めたようです。
いよいよ、これからが旅の始まりです。
  熊本20時24分発鳥栖乗換え21時51分発寝台特急あかつきに乗り込む。

JR熊本駅待合室で時間待ち JR熊本駅ホームで確認をする田上さん

平成17年5月25日(水曜日)【晴】

2日目:JR京都駅乗換〜JR金沢駅〜内灘CT

走行距離:29.5km 走行時間:2時間36分

夜行列車「あかつき」は予定通り運行し、午前6時ころ目覚め、ぼんやりと車窓を楽しんでいると巨大な「明石海峡大橋」が眼前にあらわれる。
Webサイトで調べてみると橋長3,911m、中央支間長1,991m世界最長の吊り橋。世界最長の吊り橋でなぜ端数の1mになっているのか?0mではいけなかったのか?疑問が残るところではあるが、設計段階では確かに1990mになっていましたが、、1995.1.17に起きた阪神・淡路大震災の影響で、淡路島側の主塔基礎が地盤ごと1.1メートルほどずれたため、中央支間長が1,991mになり、その結果橋の全長が当初計画していた3,910mより伸びて3,911m強になったと言うことです。こんなことに思いを巡らしている間に列車は動き画像は主塔位しか残せません(>_<)

午前7時56分JR京都駅に着き、売店で駅弁を買い込み北陸本線富山行き8時10分発サンダーバード3号に乗り換え金沢へと向う。
サンダーバード3号は以外と混みあい、機転が効く田上さんは素早く車内の一席を確保\(^o^)/し、8時30分交代して座席で駅弁を開くことが出来た。列車が敦賀に着くと座席も空き、ゆっくりと車窓が楽しめ、白山と思しき峰峰は雪に覆われ、北国に来ていることを実感し、ほとんどの田んぼは既に田植えも終わりているようだ。


午前10時20分JR金沢駅に到着し、「さ〜これからが本当のサイクリングの旅の始まりだ」
早速、自転車を組み立て作業にはいる。ところがかいさんのサイクルメーターのセンサー部の取り付けバンドが切れており、使用不能に(-_-;)最近サイクルメーターには縁がない(>_<)対策は後で考えることにして、今日は田上さんのデーターを戴くことにしました。
JR金沢駅前で記念撮影を撮り、早速市内観光へ出かける。目指すは「兼六園」ここをじっくりと散策し、12時30分隣の「金沢城公園」へ。ここでは入園はせず、門や土塀を見学するに留めた。近くの食堂で昼食をとり、ぶらっと「ひがし茶屋街、近江町市場、にし茶屋街」などを巡り、芸コさんには会うことが出来なかったが、ここでは往時を偲び、「茶屋街の歴史的価値や人間の営み」について学習し、今日の宿営地「内灘サイクリングターミナル(CT)」へ午後4時15分位に到着。

JR金沢駅前 兼六園 ひがし茶屋街
ひがし茶屋街 にし茶屋街
早速、研修室をお借りして、「サイクルメーターセンサー部の固定方法について」考察、分析、検討を繰り返し、ある材料を最大限利用して、この旅の期間に耐えうる対策で落ち着いた。
その方法は、黄色のビニールテープで固定する方法である。
対策後、計器動作の正常性を確認し、明日からの行動に支障が無いことが判明した。
直ちにこのことを、陸軍総司令部へ打電!
今、自転車修理完了せり!
三級整備士ここにあり!と言うことか


このサイクリングターミナルは今日、料理人がオヤスミで、食事が無く、自転車でコンビニまで買出しに出かけ、夕食と翌朝の食料を確保して、身辺を整理しながら、ケータイを覗くと「着信あり!」


関西のかろうけんろう 陸軍総司令部より
「こちら、陸軍熊本自転車軍団、いま何処じゃ。朝飯は食らったか。」
相変わらず役立たずのケ−タイ所有者のかいさんです(>_<)
既に遅きに失してはいるが
「朝は京都駅で駅弁(京舞?)を食べたワン」


その後入浴し、午後7時近くに設置されている立派な展望所から沈み往く素晴らしい夕陽を堪能した。

日本海に沈んでしまう直前の夕陽!

平成17年5月26日(木曜日)【晴】

3日目:内灘CT〜富来CT

走行距離:89.5km 走行時間:9時間00分

内灘CTを午前7時25分出発。サイクリングロードに出て数キロも行かないうちに、サイクリングロードが分からなくなり、一般道路を走ることに…。
周辺の畑の土地はほとんどが砂地で、農作物を育てるのにも大変だろう。
30分ほど漕いで内灘砂丘に出て、一息つく。綺麗な砂であるが、漂着物などでゴミが散在し、お世辞にも綺麗な砂浜とはいえない(>_<)
漸く、目的のサイクリングロードを探し当てるが、ここもイマイチ、進んで走ろうと言う気にはならないが、兎に角進んでみる。
飛砂対策として、色々な対策が施してあるが、田上さんによると、丸太棒でバリケードのようにしているのは、研究者の方たちが実験などを繰り返し、風の向きなどを変える効果があり、飛砂対策には効果が証明されているそうで、いたるところにこの対策がうたれている。整然と並んでいるのは壮観である。が、地元では厄介な砂のようだ。所々にはこの囲いに囲まれて、松が植林されていたり、ジャガイモなど農作物が作られている。
サイクリングロードも所々に風で飛んできて吹き溜まりとなっている砂に車輪が取られ、転倒しそうになる。砂が多いところは降りて、自転車を押し、歩きながらの前進である。

内灘サイクリングターミナルを出発! 飛砂対策として、丸太棒でバリケードのようにしている 砂が多いところは降りて、自転車を押し


9時頃、千里浜なぎさドライブウェイに着き、一休み、この浜は流石によく整備され、漂着物などゴミは見当たらない!定期的に整備されているのだろう。大きなトラクターで砂浜を千歯のようなもので引き綺麗にしている。岐阜から来ているご夫婦がちりをしているので、釣の成果を尋ねると 釣れてくるのはフグばかりで、キスの引きもまだ早いらしい。千里浜なぎさドライブウェイは5〜6kmありその両端に足を踏み入れることが出来たが、自転車での走行は自信がないのでやめにした。

自動車道路の右側は砂の吹き溜まりもなく走りやすい! なぎさドライブウェイに到着! なぎさドライブウェイの起源など知ることが出来た。


サイクリングロードでロードに乗っている人は見かけなかったが、ゼッケンとヘルメット着用した数グループに分かれた集団に出会い、あるグループに尋ねてみると、京都から来ている高校生達で、青年の家で、体験学習の一環としてサイクリングを実施いているとの説明を受けた。
ここで、自転車乗りのマナーなども学習して帰って欲しい。

ロードに乗っている人は見かけなかった 京都から来ている高校生達!


12時15分、福浦灯台に着き、木造では日本最古の灯台を見学し、ここでは昔、北前船の安全を守るため火を燃やした跡(?火の炉跡)が保存さてている。
福浦港から次の目的地巌門へ足を進め、巌門鷹の巣岩、巌門、機具岩などを見学して回る。巌門を見学後、近くの民宿「一海」で遅めの昼食をとる。
ここで最近の景気について尋ねると、やはりバブル後の影響に加え、愛知万博の影響か、かなり客足が遠のいていると言う。
いろんなところで影響が出るものである。ここでは今日採って来た岩ノリの乾燥させた物を頂、少し塩辛かったが小さくしていただいた。

旧福浦灯台! 巌門・鷹の巣岩 巌門!右の方へ遊歩道があり通り抜けられる!


次は関野鼻とヤセの断崖へ。途中「世界で一番長いベンチ」に立ち寄るが、確かに切れ目のない長いベンチではあったが、よそモンが口出しすることではないが、長くなければ要をなさない何かイベントでもあるのだろうか?この長いベンチに若者二人が横になって休んでいた。そう言えば、我が故郷にも昔居たな!(^^)!何でも日本一を付けたがる人が…!
「義経の船隠し」に立ち寄り、案内矢印に「80m」の表示があり、かいさんは歩いていくことにし、田上さんは先に自転車に乗って行ったが、中々「義経の船隠し」が見えない。現地に到着し、田上さんに何メートル会ったかを尋ねると「200mはある」との事。(>_<)

この話は伝説ではあると思うが、本当に細く深い入り江となっていて、隠すのには最高の場所と思われる。が、陸上からの攻撃を受けた場合、トントン三等兵はどのような作戦を立て、防衛し反撃してよいのやら考え込んでしまう。

ビューポイントの一つ「棚田」 義経の船隠し!

悩んでいる時を同じくして、益々混乱するような情報が陸軍総司令部から飛び込んできた。


わが部隊の暗号体系を機密漏れの観点からこれより1919系に変更す。いくいくと読む。
この体系の特徴は北と書けば南を意味し東と書けば西を意味す。
よって本日よりトントン三等兵はニンニン三等兵になる。タンタン一等兵はヤンマン一等兵だ。よか。

ところで義経の舟隠しは見たか。よくぞあんな避難場所を見つけたもんだ。それに絶壁の先端ば立ったか。落ちそうじゃったぞ我輩も。

ヤンマン一等兵、義経も美酒に見せかけた毒を盛るから注意せよ。禁酒だ今日は。ふふふ。

おーーーい、おかしいなぁ、この時間帯まで走る距離じゃないのに。どうしたんだろう。暗号が読めんか。


ニンニン三等兵からの情報!

「1919系に変更す.....」
ざ−と読めばよ−く解ったが、よ−く読めば読むほど解らなくなる不思議なボエム?
またまたケータイ遅れを取ったわ~_-;

「義経の舟隠しは見たか.....」
見た!見た!
あと80mと気を緩めて徒歩で進と、何と200m先じゃった;_-
確かによくぞあんな所をと思える場所じゃった!
 発見したのはNHKタイガドラマ「義経」のブロジュ−サと言う噂もチラホラあるとかないとか!(^^)!



関野鼻とヤセの断崖では何組ものグループが、安全防護柵を乗り越え、断崖絶壁のスリルを楽しんだり、記念写真を撮る人などで、結構賑やかになっていた。
我々もその防護作を乗り越え、絶壁から身を乗り出してみると、やはり、高さを感じて身がすくんでしまいそうである。

ニンニン三等兵からの情報!
関野鼻も絶壁じゃった!そして意味深な中年男女にも深い関心を寄せた一幕を申し添えておきます。


陸軍熊本自転車軍団への軍事機密情報なり。

トントン三等兵は昨晩はオネショしませんでしたか。
タンタン一等兵は飲みすぎませんでしたか。
今日はいい天気で最高でしょうね。今日はどこまでかな。

大本営へ告ぐ!

トントン三等兵は昨晩はオネショどころか、片思いの彼女を抱っこしている夢!最高!


ニンニン三等兵、今夜の夢には注意せよ、義経の軍団に捕まって絶壁から突き落とされるのだ。

ニンニン三等兵、今夜の夢は昨晩の続きじゃ!あっはっはっ!(~o~)


タンタン一等兵は焼酎1合にビ−ル大1本で最高で〜い\(^o^)/♪

今日は富来までじゃが、兵力に余力があるので作戦を続ける!


こうして、今日の作戦行動は終了し、一旦、国道249号線へ出て南下し、今夜の宿営地「富来サイクリングターミナル」へ到着。
「富来サイクリングターミナル」はファミリーホテルとして、富来町の人たちにも広く利用されているらしい。
丁度、お風呂場の改修工事でお風呂の利用は出来なかったが、自転車で数分のところに、立派な温泉設備があり、そちらで入浴を済ませた。

平成17年5月27日(金曜日)【晴】

4日目:富来CT〜輪島〜曽々木

走行距離:90km 走行時間:4時間40分


7時45分、富来サイクリングターミナルを出て、作戦を展開しながら、次の宿営地まで行軍が続く!
昨日、既に通った国道249号線を北上し、アップダウンを繰り返しながら、約10km弱地点で、昨日の分岐点「関野鼻入口」で、地名の確認のため停車。「富来町深谷」とある。田上さんの雄姿を撮影後、琴の浜(別名泣き浜)へ立ち寄り総持寺へ向う。
途中、午前9時丁度「北前船資料館」開館です。
ここではニンニン三等兵としては門前町の民俗文化に触れ、高度な教養を身に付け、次なるステップアップの足がかりとしたい思いで、熱心に20分間の研修を受けた。

「富来町深谷」交差点での田上さんの雄姿! 琴の浜海岸

総持寺に付き入園料400円を払い、お坊さん達の日常作業としての境内のお掃除風景や座禅を組む修業場などを見学。曹洞宗大本山としての風格あるお寺で、じっくりと見学することが出来た。
展示されている中に、お寺の建替え時か改修時につ来られたのか、大きな板を利用した設計図が細かな数値まで記入さていて、その緻密さにビックリしました。


総持寺を10時過ぎに出て、いよいよ「輪島の朝市」へ。
もう、我々の軍事機密行動も後半となった。だが我々特殊部隊の行動がバレバレになった今、新たな行動に打ってでるしかない!と、秘密裏に西保海岸、光浦海岸に行動を展開することにし、密かに国道249号線から離れ、西保海岸線方面へと大きく舵を切った。
このルート、以外と激坂があり、上官殿から「先へ偵察に行って来い!」の命令を受け、斥候として先行することに!
ニンニン三等兵は上官殿から直接の有難い命令に有頂天になり、手柄を立てようと、わき目もふらずただ路面を見つめながら、必死に漕ぎあがる。途中で分岐点があり、ここも大きな道路をいくと間違いなく、目的地の方面へ行くはずと信じて、ドンドン漕ぎあがる。久しぶりの汗かきである。2kmほど行ったであろうか。峠らいいところがあり、ここで上官殿をお待ち申し上げ、偵察状況を伝達するはずであったが、突然我がケータイが鳴り響き、出てみると「どこをうろついているのかッ!命令違反だ!!直ちに引き返して来いッ!!!」と、何と予想もしていなかったヤンマン一等兵殿からの命令である。
間違えた分岐点まで帰還後、ビンタを喰らったのは言うまでもない。
しかし、激坂が多かった(>_<)

この男女滝峠?事件は、現場だけにしてもみ消そうと図ったが、かなりの部分でバレバレになっている現在、そうは行くまいと思い、30年間非公開の「極秘文書扱い」で司令部へ報告することにした。

レポートは省略するが報告した内容で一部数値情報が4kmとあるが、精査してみると、往復4kmであって片道2kmに修正することにする。


今回の事件は軍法会議で、「暫くの間謹慎!上官の目の届く範囲で行動すること!」が下り、
輪島市境界からは豪快なダウンヒルが楽しめた。
着いた橋の名前は上大沢橋、きっと大沢集落と言う知名だろう。葬式が行われたのかマイクロバス2台が停車しており、、喪服姿の人々が乗り込んでいた。
この集落も、厳しい冬の風雪対策として、何時ぞやのテレビでも見たことがあるが、高さ3mは有ろうか思える竹笹で暴風暴雪対策が打たれている。
「九州とは違って、また厳しい生活をされているのだな〜!」と改めて感じた。

さ〜、これから海岸線通りである。が、いきなりの激坂である。海沿いに行くから道を間違えることもない。所々をニンニン三等兵が先行し、疲れたら休むを繰り返し、追い風が神風のように思えるほどに風に助けられながらの行軍である。
所々に暴風雪対策の櫓がある個所で休息をとったり、途中、道路工事中で全面通行止め個所があるが、自転車なら大丈夫だろうと、地元のおじさんに聞き、そのまま直進し、工事現場の作業員の方にお断りを入れながら、何とか通り抜けることが出来た。また、峠付近に水飲み場が設けられ、これが冷たくておいしい水だったりして、ヤンマン一頭兵殿は頭から水を被り、ジャブジャブと足を洗い、身を清めていました。

アタケ岬
冷たくておいしい水!


輪島の朝市には、この事件の所為で、30分遅れて到着し、朝市に参加することが出来なかった。
そこで輪島市内を散策し、「輪島漆器資料館」などを見学し、見事な輪島漆器類を見て回った。
午後1時を過ぎ、そろそろ腹も減り昼飯屋を探し朝市どおりの「海鮮茶屋」へはいり、食事を取った。

輪島の朝市通り!

輪島を後に、曽々木へと向う。
暫く行くと、ビューポイント「千枚田」がある。
「凄い!」「人間って、なんて素晴らしいのだろう!」「食糧確保には、こんなにも手間ヒマかけて田んぼを作り、おそらく人力でしか作業が出来ないだろう労働をして、お米を作っているのだ!」先祖代々から受け継がれた財産が今こうして残っているのが不思議なくらいだ!
暫く、地元のおばさんと話しこむ!

カメラを向けると、にっこりしてくれた! 見事な千枚田!


実は、今日の宿営地は曽々木のユースホステルを予定していたのだが、昨日、電話で予約を入れて見ると、「休館中!(-_-;)」
慌てたが、田上さんがちゃんと、フォローしていてくれたお陰で、「民宿浜野」が取れていたのです。

そのとき場所を確認したところ、「輪島市内から出て、最初の信号から800m位の所にあります。」「エッ!最初の信号機をですか?このルートは国道じゃありませんか?信号機一つだけですか?」
約20km北上したところの曽々木入口付近に確かに最初の信号機が…
この信号機についたのが午後3時頃。まだまだ、宿営地に入るのは早すぎる。この交差点を右に折れて行くと国重要文化財「上時国家」の建物がある。
この豪壮な巨大な屋敷にはは25代当主が現在も住んでおられ、家族の方が見学者をテープ案内されている。
見ただけで圧倒されてしまう!
この茅葺屋根も少し傷んでいるようだが、5年位前に修復工事が行われており、この手の屋根を葺く職人さんが少ないらしく、早く痛んだようです。葺き替えるだけで数千万円かかると言うことを聞いて、保存をしていくことが如何に大変かが伝わってきた。
親戚でもう一つ「時国家」の屋敷が少し離れ他所にあるが、現在修復工事が行われ、巨大な鉄骨が組まれ、茅葺屋根を葺き替えていたた。

上時国家屋敷」 「時国家屋敷」の修復工事


ここを見学後、塩田があると言うことで、揚浜塩田を見学し、その北側にある「垂水の滝」を見学して今日のコースは終わることにし、午後5時丁度「民宿浜野」に到着。
とても暖かい感じのいい民宿で、諸記事もしっかりとご馳走を戴くことが出来ました。
この辺一帯はケータイの電波が届かないか弱いらしく、ケータイを使用するときは一旦屋外に出て、どうにかメールを送信することが出来ました。

垂水の滝!


有明海一周サイクリングへ!