平成17年5月28日(土曜日)【晴】

5日目:曽々木〜禄剛崎灯台〜漁火YH

走行距離:97.7km 走行時間:5時間35分

午前7時40分、民宿のご主人へ記念写真を撮っていただき、次の目的地禄剛崎灯台を目指して出発です。
20分から30分ほど漕ぐと、激坂が待っている。
前回の失敗を繰り返さないよう、分岐点で田上さんを待ち、ルートを確認して進路を直進の狼煙(のろし)へ取る。
暫く進むと激坂の始まりである。
まだ、朝食を食べたあとだけにここは、何とか乗り切り、徳保と言う峠の展望所で一息入れ、汗を拭く!

民宿「浜野」前で民宿のご主人に記念撮影を依頼! 今日最初の激坂が…! 通過地点の証として1枚!オマケ!!(^^)!

午前9時10分、狼煙(のろし)の禄剛言う崎灯台の入り口に着き、ここから自転車を押して、ビューポイントを求めて進む。
丁度この公園の草刈作業をされていて綺麗に整備されつつある場所にお邪魔し、鉄塔が少し邪魔していたが、ここしかない!と
三脚を立てて記念撮影!
帰りは作業をしている人から「急坂ですから坂道は自転車を降りて、歩いて帰ってください」の忠告を戴いた。
歩いて降りていると丁度トンビが地上にいたスズメに襲い掛かる一瞬を目の当たりにし、「カメラ!カメラ!」そんな余裕はなく、
スズメを取り損ねたトンビは瞬く間に空中へ舞い上がり、その場は何事もなかったように静まり返っていた。
九州では宮崎の青島で見かける「鬼の洗濯岩」に似た海岸を通り、家並みが綺麗に整った落ち着いた町並みを通り過ぎ、廃線となったのと鉄道の珠洲駅に立ち寄り小休止し、目指すは軍艦島(見附島)へ。

只今、ニンニン三等兵、敵艦「MITUKE」に遭遇・発見ス!直ちに攻撃開始ス!
我が大砲を握り締め照準を合わせ、ヤンマン一等兵の「打ち方、始め!!」の合図で一斉放射!
だが、我がニンニン三等兵の砲弾は、ポトポトと足元へ(-_-;)!
再度奮い立たせて発射するも同じで、敵艦のもヒガン刈の敵兵はただただ軽蔑のまなざしを一斉に浴びせるだけで、
白い歯さえ見せニヤニヤと笑っているだけである。
ここは一先ず「退却ッ!退却ッ!」ヤンマン一等兵の大声が響きわたる!
以上、戦況情報一報ス
!

打電開始!だが「電波が届かない地域で発信不能に!(>_<)!

画面には「送信に失敗しました!」

と言うことで、上記戦況情報は幻の電文となり申す!

気を取り直して下記電文を再度発信する。

昨晩はそそぎの「民宿浜野」に泊まったんよ!YHは休館中たい!
今日は国道249号線から別れ県道28号線を走り、現在珠洲市内を通過し、
見附海岸で見附島、別名軍艦島を見学中。今日は順調な走りである。
こちらは電波送受信不可地域が多く作成文がダメになることが多い。
以上!

見附海岸を後に、一旦退路を南にとり、ロマンを感じさせる恋路海岸へと退却する。
ここで、700年前の悲恋の物語に触れ、疲弊した身体に「喝!」を入れるために腹ごしらえをし、戦略を練るにはまず、歴史を知らなくてはと、「真脇遺跡」の博物館でスキルアップを図り、次は軍備を増強すべく、軍艦を2隻注文して、先輩達の武勲にあやかるべく「忠魂之碑」で巻き返しを誓い、宿営地で、
同宿の富山から来た青年と将来の日本について、少子化問題や複雑な社会問題、環境問題などなど大いに語り、
「まだまだ日本も捨てたものではない!こんなに立派な青年が居るではないか!この青年達に日本を託そうではないか!」
「老兵は静かに去りいくのみ!!」「いや!いや!何の!何の!まだまだ!」と複雑な心境で眠りに就いた。

恋路海岸の風雪に耐えた岩をバックに! 悲恋の主人公! 軍艦2隻とは、実は遠洋イカ釣り漁船!(^^)! 真脇遺跡の博物館前!


平成17年5月29日(日曜日)【晴】

6日目:漁火YH〜JR氷見駅〜JR高岡駅〜JR京都駅

走行距離:126km 走行時間:5時間40分

朝食時間7時30分になり、食堂におりていくがまだ、準備が整っていない。ここのオーナーはYHの傍ら漁船を持つ船長でもある。
今朝、出かけたまままだ帰港していないという。
その間に、朝食の準備も整い、宿泊客が一緒になって朝食を戴く。
宿泊のメンバーは、我々と相部屋になった富山からオートバイでやってきた青年と愛知万博会場の近くから来られたご夫婦、海のない栃木県からドライブ旅行でやってきた娘さんお二人と外国・台湾からYH関係のお仕事で来られたと言う女性二人それに我々二人の合計9名でした。

この方々ともお話できるまでになり、特に台湾からの一人の女性は日本語を上手に話すことが出来、我々の言葉も少し理解されたので、いっそう賑やかな朝食会場となった。名刺交換などして「かいさんのホームページ」もPRさせていただいた。
そうこうしている間にここのオーナーも漁場から帰ってこられ、漁獲量バケツ一杯の水揚げで、「今日の夕食は決まり!」
予定より20分ほど遅れの午前8時20分頃ここを出発した。

同宿のメンバーさんと一緒に記念撮影! 遅れて我々が出発!


今日は自転車での「能登半島一周サイクリングの旅」最終日で、軍艦「MITUKE」への反撃どころではない。追手も来ないのでゆっくりと観光しながら、とまでは行かなかったが
「千畳敷」や「道の駅・なごみ」等に立ち寄り小休止しながら南下して行った。

鵜川から国道249号線を左折し、海沿いに能登島へ小さなアップダウンを繰り返しながらも車も少なく比較的走りやすく、快適なサイクリングルートであった。七尾北湾に出て中居の「ボラ待ち漁法」で5分ほど休憩し、しばらくすると、大きな橋が見え始め、あれが「能登島大橋」かと感激しながらあの橋を渡るのだァ!と漕ぐペダルにも力が入る。
そして、また嫌な分岐点が…自信なく真っ直ぐ進むと、またまたまたの間違いである。左折なのである。

そしてまたまたの軍律違反を!
相変わらずそそっかしいニンイン三等兵は、ヤンマン一等兵から「前へ出よッ!」の命令に従ったまではよかったのだが、命令では
「国道249号線で分岐点がある処で待てッ!」
だったのを、サインを見落とし、何を血迷ったのか、西岸或いは小牧という地点で国道249号線から離れて左折する
ところをそのまま直進したのであります。
ここも以外と上りの坂道で「ヨイショッ!ヨイショッ!」と漕ぎ上がっていると、またまた電鈴の呼び出し音が鳴り出した。
「かあちゃんからかな〜?」
「コラァッ!ナンバ聞ィとっとかッ!直ちに引き返して来いッ!」
「これからは先行していくことを禁止する」
ヤンマン一等兵上官殿からのお叱りの命令であった。(>_<)

そういえば母ちゃんからはこれまで一度もケータイにはかかってきたことがないのに後で気付くのである。


そして、「能登島大橋」と思っていたのは実は、「長浦橋」と言って、広域農道の一部で、国土交通省が造った橋ではなく、農林水産省管轄の橋であることが分かった。「国土交通省」とは?「農林水産省」とは?もう訳が分からなくなった(>_<)我々にはどちらが造ったということよりも、通れればいいや!
ここのパーキングエリアで昼食を取り、一休み!

能登島へ渡り、次が本物の「能登島大橋」なのだ。ここで記念写真を撮り、渡り初めである。
七尾市街にはいり、久しぶりにスーパーやコンビニを見ながら、何か大都会のに来たような気分になった。
これから先は、もう前に出て走ることは出来ない。どちら方向を向いて走っているのかさえ分からず、前へ前へと付いていくのみである。
七尾の市街を通り抜け、国道160号線と県道の分かれ道があり、ヤンマン一等兵から県道側の「観音崎方面へ一人で行ってくるかッ!」と言う命令が下ったが、本来なら命令にし従うべきところであるが、いささか疲れも出ており、ここは「一緒に従軍させていただきます!」と国道160号線を通るショートカットで富山湾側へ出ることになった。この激坂峠を越え、ダウンヒルで豪快に「百海」まで出て、タンタンとした道路を走り、この旅最後の訪問地「大境洞窟住居跡」を見学し、遠い祖先の生活に触れ、そういえば、「この風景、歴史の教科書にでていなかったかな〜?」等と古のことを思い浮かべていた。

さ〜最後の仕上げは、富山の青年から聞いていた氷見に入る手前にある銭湯で、旅の疲れと汗とを流し、綺麗さっぱりとした気持ちで、帰路に就くのだ!暫く行くと銭湯に着き、ここでゆっくりと汗と疲れを癒した。
そして、氷見駅に着き、これまでお世話になった自転車を輪行袋に収納し、IR高岡駅へ向けて出発した。


JR高岡駅で一旦外へ出て、一軒の食堂屋へ入る。狭いが結構に人気が有るらしく、既に何組かのお客が入りており、とんかつ定食を注文し、腹ごしらえをした。
夕食後駅前の地下街をうろつき、大きな地下街であったが空き店舗が多く、エーム機などの音だけがやけに耳に入り、侘しさがあった。
バブル崩壊後の日本の地方都市はドコモこんな状況なのだろうか?
そして、JR京都駅に行くべく、JR高岡駅20時6分発サンダーバードに乗り込みJR京都駅に22時46分に到着。
ケータイを覗くと「着信あり!」

「ところで明日何時に帰るの?」

娘からのメールだ!「明日午後1時頃に帰る予定!」と返信す!

穴見町比良交差点(県道34号線と国道249号線の分岐点) 国土交通省管轄の「能登島大橋」 富山湾にでたところの分岐路 JR高岡駅について、この地で夕食を戴く。


平成17年5月30日(月曜日)【晴】

7日目:JR高岡駅〜JR京都駅〜JR熊本駅

走行距離:0km 走行時間:0時間0分

J京都駅に着き、ホームで30日午前0時37分発はやぶさを待つことに。
5月とは言え、夜中に駅のホームでジ〜ッと待っていると寒さが堪えてくる。たまらずニンニン三等兵はサイクリンク゛用薄手の防寒を着きることにした。
が、ヤンマン一等兵は「耐えられる範囲!」と半そで半パンツで通された。流石である!
京都はやがり大都会で、午後11時過ぎても向かいのホームは大勢の人が行き交い、そして二人連れの女の子の超々ミニ姿に釘付けに(~o~)♪
「・・・・・ムッ!」と声も出ず、我々二人はポカ〜ンと見惚れていた。
寝台特急はやぶさは2〜3分遅れてホームに入り、早速乗り込み、それぞれベッドに潜り込み、先ほどのホームでの二人連れの残像が消えないように静かに瞼を閉じた!

心地よい目覚めで起き上がると、既にヤンマン一等兵どのは起き上がり、通路に立てかけてあった輪行袋を邪魔にならないよう、空いた座製の方へ移動され、ニンニン三等兵はそのことにも気付かず、シバラクした後で「あれッ!自転車は?」「車内販売が始まるので片付けましたよッ!」
早速、車内販売が回ってきて、「アナゴ弁当」で朝食を済ませた。
もう後は、JR熊本駅について、帰るばかりだ。
午前11時50分頃JR熊本駅に到着し、熊本はやはり暑い!木陰を探して組み立て場所に!ところが路面は、夜の間寝床にしている野鳥の白い糞が一面に(>_<)より少ないところで木陰を選定し、早速自転車の組み立て開始。

組み立て後、ヤンマン一等兵とここで別れ、午後12時18分司令部に本作戦終了の最後の打電を打つ!

一人の負傷兵も出さず、極秘行動作戦は完墜し、大任を果たしたニンニン三等兵らは今、
可愛い子らが待つ熊本の地を踏むことができた。
以上をもって本作戦を終了する。
次の新たな司令を待つ!

なお、参考までに本作戦に使用された戦費と総走行距離及び走行時間は以下のとおりであります。

戦      費:79,750円也
作戦展開距離:430km
作 戦 時 間:27時間30分「6泊7日(車中2泊)」

JR熊本駅に降り立つ! サ〜ァ!可愛い○○が待つ我が家へ!

 The end!

北陸・佐渡島一周サイクリングの旅へ!